人生で一度だけ「勉強を頑張った」と胸を張って言える時期があります。朝鮮学校高級部での3年間は私にとって本当に貴重な学びの時間で、言葉通り毎日必死に「ウリ」のことを勉強する日々でした。 中学校まで日本学校に通っていた私は、「○○小学校→○○中学校→○○高校(いずれも地元の町名)」と学校の名前に変化がないのが嫌で、高校からはウリハッキョに入ろうと決めました。それは冗談で、小さい頃から自分が「朝鮮人」だとは教えられていたため、ただ単純に言葉を学びたい、同じ朝鮮人の友達がほしい、と思ったからです。 私より小さい子どもたちが流暢にウリマルを話す姿も、トイレに張られたウリマルのポスターも、下校の時間に流れるウリノレも、初めての経験でした。日本学校に通っている時も自覚はあるつもりでしたが、何か新しいことを学ぶたびに「あ、自分って本当に朝鮮人だったんだ!」と改めて感じたのを覚えています。 音楽の授業では友