タグ

さ:差別とり:良エントリーとひ:表現規制に関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • あー飲んだ飲んだ、美味かったwww つー訳でもう寝るが一言だけ。 - 消毒しましょ!

    「ファンタジーと現実の犯罪を混同している」バカをdisったら、同種の「ファンタジーと現実の犯罪を混同している」バカがタイトルだけ読んで、事もあろうにオレが「ファンタジーと現実の犯罪を混同している」と頓珍漢な非難を繰り広げているのがブコメの惨状。どいつがバカで、どいつがきちんとエントリの趣旨を読めているかが丸分かりw これは踏み絵なのだwww 「現実に被害者はいないからOK」などという抗弁は単なる摩り替え。フィクションである以上「現実に被害者はいない」のは当たり前。そんなことを言ったところで何の意味もない。 「被害者」はフィクションの中に存在する。レイプが「和姦」であるなら、それは最初からレイプではないのだから定義矛盾に陥るばかりか、陵辱行為を娯楽とする「レイプ・ファンタジー」そのものが成立しなくなるので、このことをもってしても「被害者」がフィクションの中に存在していることは明らか。 「最終

    あー飲んだ飲んだ、美味かったwww つー訳でもう寝るが一言だけ。 - 消毒しましょ!
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/04/16
    ファンタジー内の暴力被害者の意味から歴史認識の問題にまで言及していくエントリ/陵辱物の毒性がどこにあるか理解するのに大きな助けとなる。
  • Gazing at the Celestial Blue 「表現の自由」は誰のものですか?

    (6月6日付エントリの続きである、6月8日付エントリの続き) 板坂耀子氏の「私のために戦うな(弦書房、2006年12月25日発行)」の117ページに「ありふれたパターン」と題された章に、こんな記述がある。 昔から恋愛映画のクライマックスになると、どんなに優しくおとなしい男性と強く積極的な女性のカップルでも、男性が女性を抱き寄せ、女性はそれに抵抗し、そして最後には必ず男の胸を押しのけ叩いていた女の手は男の首にからまって、二人はベッドに倒れ込み、結局のところ幸せになる、と指摘する。(略)これまでの映画は、国も時代も問わず、男女のラブシーンといえばまずはもう必ず、男が抱き寄せ、女が押しのけ、そして最後に女の抵抗が終わってめでたし、という図式を踏襲しつづけてきた。(略)大抵の人間なら、繰り返し見せられれば、恋愛とはこういうものと思い、それに自分を遭わせるように学習するのが普通だろう。「現実が芸術を

  • 1