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しんぶん赤旗とや:靖国神社に関するdimitrygorodokのブックマーク (4)

  • 米誌 靖国「遊就館」展示批判/「信じられないほど偏向した解釈」

    【ワシントン=洞口昇幸】米誌『アトランティック』(電子版)は2日付で、靖国神社にある軍事博物館「遊就館」について、20世紀の出来事をめぐり「日を被害者」とする「信じられないほど偏向した解釈を提示している」と指摘し、「靖国神社は国家元首の訪問に適切な場所ではない」と報じています。 同誌は靖国神社・遊就館を訪ねた欧米人らの声を紹介。一人は同館の展示内容について「極右陣営の観点から戦争を書きかえたのも同然だ。ほとんどが日の軍事的勝利を扱っている」「戦争で亡くなった人たちへの厳粛な敬意を示す記念館とはまったく異なる」と述べ、「靖国神社そのものが創設以来、日の特定の人たちによる特異な歴史観を政治的に象徴するよう意図的に仕向けられ、絶対化されている」としています。 別の一人は同館で上映される映画を「第2次大戦時にまでさかのぼったプロパガンダ(政治的宣伝)にすぎない」と指摘。また別の一人も同館は「

    米誌 靖国「遊就館」展示批判/「信じられないほど偏向した解釈」
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2014/01/06
    「中国人や韓国人だけでなく、ほとんどだれもが不快に感じるだろう」というのはごもっともで、戦争指導の出鱈目さを褒めて誤魔化そうとしてるだけだから靖国神社のやってる事は他国人を脇に置いても受け入れ難い話
  • これが靖国神社「遊就館」の実態だ/徹底ルポ——“靖国史観”の現場をゆく/A級戦犯を「神」と展示

    ガイドの出版元は… 「遊就館」の玄関ホールは、ガラスから差しこむ陽光で明るさいっぱい。「戦争」の悲惨なイメージはいっさいぬぐい取られた現代的な装いです。 左手には「零戦」の現物をきれいに化粧直しをして陳列。奥には、“靖国史観”満載の『遊就館図録』や『歴史パノラマ写真集 昭和の戦争記念館』全五巻などが海軍帽やプラモデルといったグッズといっしょに並ぶ売店があります。書籍のなかには、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の出版元・扶桑社が販売する『遊就館の世界』というガイドから『正論』『諸君』といった右派雑誌までありました。 靖国神社が「高度な展示技法」と誇るだけあって、館内の展示は映像、音響、パネルと工夫がこらされています。最初に驚くのが、二階映像コーナーの「私たちは忘れない」のビデオ上映。「極東の小さな国だった日が生き残ったのは、欧米列強の脅威にひるむことなく、命をかけて立ち向か(った

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2014/01/03
    国家権力が宗教的権威をも携えて人々の内心の自由、価値観の根源にまで踏み込んでくるとき、宗教はまさに暴力装置の一部と化してしまうというのがよく分かる。権威の悪用は本当に恐ろしい。
  • 懲りない麻生副総理/“ナチスに学べ”だけじゃない

    ナチスの手口に学んだらどうか―。麻生太郎副総理・財務相の戦後国際政治の土台を覆す暴言に世界が仰天、批判が集まっています。麻生氏は発言を「撤回」しましたが、同氏の過去の偏見・差別に満ちた右翼的発言の数々(別項)を見るにつけ、今回の発言が偶然の産物ではないことがはっきりしました。人の副総理辞任はもとより、同氏を任命した安倍首相の責任も問われています。 過去の暴言の数々 婦人参政権は失敗■(創氏改名は)朝鮮人の「名字くれ」が始まり アルツハイマーの人でも分かる■(お年寄りは)さっさと死んで 1983年2月 「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗」(自民党青年局長、高知県議選の応援演説) 2003年5月 「(創氏改名は)朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まり」(自民党政調会長、東京大学での講演) 200

    懲りない麻生副総理/“ナチスに学べ”だけじゃない
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/08/05
    これだけ差別意識や事実誤認ダダ漏れなのは彼の努力不足によるものじゃないかね?
  • 靖国神社/A級戦犯の合祀は東京裁判否定が動機/昭和天皇発言メモで もくろみ破綻

    昭和天皇が一九八八年にA級戦犯の靖国神社合祀(ごうし)に“不快感”を示した発言が明らかになったことで、A級戦犯合祀の経緯があらためて注目されています。(藤田 健) 厚生省が名簿 靖国神社の合祀は、戦前は陸・海軍省から天皇に名簿が「上奏」され「裁可」を受けてからおこなわれていました。同神社は陸・海軍省の共管から戦後、一宗教法人になりましたが、戦後も、厚生省援護局(当時)が名簿を靖国神社に渡し、神社側が「祭神名票(さいしんめいひょう)」をつくって合祀しています。 A級戦犯も、六六年に厚生省から太平洋戦争開戦時の東条英機元首相ら十二人(のちに二人追加されて十四人)の名簿が靖国神社に送られ、七〇年の崇敬者総代会で合祀が了承されましたが、「宮司預かり」となり、当時の筑波藤麿宮司の在職中は実施されませんでした。 厚生省から名簿が送られてきたことは、“靖国”派が「A級戦犯合祀は、靖国神社が勝手にやったの

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