脱原発の集会や議論に参加していると、時折「この(フクシマ事故の)状況において、右も左もあるか。一致団結して危機を乗り越え、脱原発に向かうべきだ」という論調に出くわすことがある。僕はこれに若干の違和感を覚える。言っていることは正論だと思うんだけど、当たり前過ぎる、というか、なんで俺ら(=迷うことなく脱原発のアピールに動き出した「俺ら」)がそんなこと言われなくちゃいかんの?と感じてしまうのだ。 原発を推進してきたのは、どこの国か。アメリカであり、旧ソ連であり、日本であり、ヨーロッパである。そして最近では韓国であり、中国であり、インドである。つまり、・・・はじめから右も左も、資本主義も社会主義もへったくれもない。むしろ核保有国、そうでなければ将来の核保有の野心を持つ国にとっての技術的担保として、原発というものが選択されているように見える。 脱原発の動きに加わる僕、賛同するあなた、のような人にとっ
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