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し:新自由主義とひ:貧困に関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • 社会流動性を高めるなら生活保障を切り捨てろ? 御冗談を・・・ - flagburner's blog(仮)

    何か知らないけど、「教育における機会の平等を追い求めるな」とのたまってる人がいた模様。 ・「機会の平等」という幻想を追い求めるのはやめよう(2011年5月2日 BLOGOSBLOGOS といえば、天下の池田 信夫教授や佐藤 優氏などの(イカれた)論説が読めることから極一部の好事家(?)から熱烈な支持を受けている「ネット上の論壇誌」。 俺も時々 BLOGOS の論説を読んで鼻で笑っているが、wasting time? という HN の筆者による上の論説はあまりにも酷いので突っ込んでおくことにした。 この論説の冒頭、筆者は英国において長年 "Social Mobility"(社会流動性:元は社会学の用語らしい)向上が求められてると述べていた。 その一方、英国の実態はそれと程遠い、と切り返しつつ、優生主義全開な筆者の個人 blog(ややこしい)の過去記事(2011年2月13日付)を紹介してい

    社会流動性を高めるなら生活保障を切り捨てろ? 御冗談を・・・ - flagburner's blog(仮)
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/05/03
    新自由主義者による代わり映えのないマチズモ垂れ流し.貧乏人の倅に教育を施しても無駄、って自分で打っててゲスくて嫌になった(汗)米のKKKとどう違うんだろう?
  • 小さな国家、大きな社会 - 毎週評論

    今日(7月22日)の朝日新聞に宮台真司・雨宮処凛・中島岳志の三氏の鼎談が載っていた。 鼎談の中でとくに気になったのは、宮台氏が貧困運動家たちが国の支援に依存しようとしていることを批判して、「小さな国家」「大きな社会」という理念を語っていたことである。雨宮氏がそれに対して、小さな政府の名の下に家族や個人の責任が過剰になっている現実があることを指摘していたが、この論点については全く雨宮氏の言うとおりであろう。「小さな国家」「大きな社会」は理念としては間違いでないにしても、現時点でそれを言えば、現実に行政しか頼れる場所がない弱者がさらに悲惨な状況に追い込まれることは目に見えているからである。 そして、これは明確に言っておかなければならないが、原理的に言っても弱者を救済する究極の機関は国家なのである。弱者の救済は、NPOのような自発的結社ではどうしても限界がある。財政上・権限上の限界という以前に、

    小さな国家、大きな社会 - 毎週評論
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2009/10/31
    「財政上・権限上の限界という以前に、NPOにアクセスするための情報や能力すら持っていない、決して例外的とは言えない社会的弱者を包摂することは不可能だからである」
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