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し:資料とぐ:軍隊に関するdimitrygorodokのブックマーク (14)

  • 旧日本軍の偽札用紙見つかる 民間巻き込んだ製造裏付け:朝日新聞デジタル

    静岡市の製紙工場で、孫文などのすかしが入った特殊な用紙が見つかった。明治大学の研究者が確認し、旧陸軍登戸研究所の発注で中華民国の紙幣を偽造するために作った用紙と判断した。戦前に特殊兵器を開発していた同研究所では偽札も作っていたという証言があり、民間企業を巻き込んで偽札が製造されていた実態が浮かび上がった。 明治大学平和教育登戸研究所資料館(川崎市多摩区)が昨年7月、「巴川(ともえがわ)製紙所」(社・東京)の静岡市駿河区にある工場で確認。約30センチ四方279枚がつづられていた。 資料館によると、用紙には中華民国建国の父・孫文の横顔のすかしがあり、絹の繊維がすき込まれていた。当時の中華民国で広く流通していた5円札の特徴だった。北京の歴史的建造物「天壇」のすかしが入った紙もつづられており、これも当時の別の5円札の特徴という。すかしの出来や絹の繊維の密度などを点検した形跡もあった。 記されてい

    旧日本軍の偽札用紙見つかる 民間巻き込んだ製造裏付け:朝日新聞デジタル
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2015/01/06
    まぁ、なんていうか戦争の為のとなったら好き放題だなぁ。
  • シベリア抑留の資料 大学で保管へ NHKニュース

    いわゆるシベリア抑留などで亡くなった4万人を超える人たちの名簿を一人でまとめ、この春、88歳で亡くなった新潟県出身の村山常雄さんが残した膨大な資料が、都内の大学施設で保管され、今後の研究に生かされることになりました。 みずからもシベリアに抑留された村山常雄さんは、70歳を迎えた平成8年から、シベリアなどに抑留され亡くなった人たちの調査に一人で取り組み、国内外の資料を集めたりシベリアの墓地を訪ねたりして、およそ4万6300人の名簿を作り上げました。 村山さんはことし5月、88歳で亡くなりましたが、さいたま市の家族の元に残された500点を超える膨大な資料が都内の大学施設で保管されることになりました。 保管されるのは大阪経済法科大学の東京・港区にある施設で、自由に閲覧できるようにするなどして今後の研究に生かされるということです。 終戦直後、シベリアなどに抑留され、寒さや飢えで亡くなった人は5万5

  • 国立公文書館・大英帝国戦争博物館所蔵資料、厚生省関係公表資料 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    I.国立公文書館・大英帝国戦争博物館所蔵資料 内閣・内務省関係 (P92/294) 文書件名 発行時期*1 発信者 宛先 記述の概要 1.渡支邦人暫定処理に関する件[「昭和16年満支外地渡航取締例規」] 1941.8.16 内務省警保局長 各庁府県長官 昭和15年5月7日の閣議決定「渡支邦人暫定処理に関する件」およびそれに基づく新制定の「取扱要領」を通達する。例外的に渡支を認める者の中に、婦女雇入のため一時帰国した在接客業者が雇入員数を明記した在支領事館警察署発給の証明書を所持する場合、その員数の被傭婦女が含まれている。 2.行政事務の聖地簡捷化及中央官庁の権限の地方委譲等に関する件[昭和18年12月14日] 1943.12.14 閣議決定 - 首題の件に関し関係各庁及地方行政協議会長より夫々意見の提出があったうち、◎印のものは至急実施することが適当と認められるので各庁は速やかに実施の措置

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  • 日本軍 慰安婦について - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

    軍はなぜ慰安所を必要としたか 2 日軍が慰安所を必要とした理由 日軍が慰安所を必要とした理由は四つある。第一は、占領地で日軍人による強姦事件が多発したことであった。広範囲に慰安所を設置するきっかけとなったのは、一九三七年一二月の南京大虐殺と関係がある。三七年八月から一〇月にかけての激しい上海攻防戦のあと、日軍は南京にむけて侵攻したが、一〇月から一二月にかけて、日軍の進撃ルートとなった長江(揚子江)一帯では、日軍人による虐殺・強姦・掠奪・放火などのきわめて多くの不法行為がおこなわれた。中でも強姦は弁明不能な違法行為であり、盗賊でも強姦はあまりしないといわれる倫理観をもつ中国人の間に激しい憤激をよんだ。このような事態にあわてた日軍は軍慰安所の設置にのりだしたのである。中支那方面軍は、この前後に慰安施設をつくるよう指示している。 一九三八年六月、数十万の兵員をもつ北支那方面軍の

    日本軍 慰安婦について - 模型とかキャラ弁とか歴史とか
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/03/24
    兵士一個人の問題ではなく動員体制のコストを嫌ったが故の構造問題という指摘があるのに相変わらずなコメが付いてて呆れた/軍が味方兵士に対しての義務を怠った話でもあるから擁護のしようが無いという事でもあろう
  • 慰安所関連の規定・営外施設規定 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    特殊慰安所が、営外酒保や偕行社と同列で規定されています。 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13010769700、諸規定綴 歩兵219連隊警備隊第7中隊 昭和18年(防衛省防衛研究所)」 極秘 営外施設規定 一、総則 第一条 規定ハ昭和拾七年七月仁集参密第二九四号営外施設補充要綱ニ基キ営外施設ノ建設経営利用監督等師団ニ於テ実施スベキ事項ニ関シ其要領ヲ定ムルモノトス 営外施設ニ関スル建築、物件ノ備付飲品ノ補給又ハ払下従業員ノ雇傭ノ施設内ノ取締等ニ関シ規定ニ定メサル事項ハ陸軍営繕事務所規程、野戦酒保規定其他各関係法規ノ定ムル所ニ拠ルモノトス 第二条 規定ニ於テ営外施設ト称スルハ営外酒保、特殊慰安所、偕行社及其他ノ地方団体等ノ篤志ニ依リ開設シタル軍人慰安施設ヲ謂フモノトス 第三条 営外施設ハ規程ニ於テ特ニ定メタル場合ヲ除クノ外当該駐屯地ニ於ケル高級先任ノ部隊長(以下管理

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  • 「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」に見る日本軍の軍紀 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    昭和15年1940年11月に大営陸軍部研究班が作成した「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」という史料があります。 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110762200、支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案) 昭和15年11月(防衛省防衛研究所)」 第三 主トシテ戦地ニ於テ著意スベキ事項 一、皇軍ノ質並ニ今次聖戦ノ意義ヲ的確ニ把握シ其ノ行動ヲシテ之ニ即応セシムルヲ要ス 事変勃発以来ノ実状ニ徴スルニ赫々タル武勲ノ反面ニ掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等皇軍タルノ質ニ反スル幾多ノ犯行ヲ生ジ為ニ聖戦目的ノ達成ヲ困難ナラシメアルハ遺憾トスル所ナリ宜シク皇軍ノ質並ニ今次聖戦ノ目的ハ抗日排日容共政権及其ノ軍隊ヲ打倒シ東洋永遠ノ平和ヲ確立シ新秩序ノ建設ニ寄与スルニ在リテ決シテ一般民衆ヲ敵トスルモノニアラザル所以ヲ一兵ニ至ル迄徹底セシメ其ノ行動ヲシテ之ニ

    「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」に見る日本軍の軍紀 - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 『記録 沖縄「集団自決」裁判』 - Apeman’s diary

    岩波書店編、『記録 沖縄「集団自決」裁判』、岩波書店 今年2月刊。月刊誌『世界』に掲載されたものを含む論考、インタビューが第I部、被告弁護団による「裁判の経過・争点・判決・立証活動等」が第II部という構成。資料として陳述書や法廷証言(の要点)が収録されている。資料部分のみ2段組みで、70ページほどになるのでそこそこの情報量。

    『記録 沖縄「集団自決」裁判』 - Apeman’s diary
  • novlunoさんによる「慰安婦」基本的な事実解説

    @novluno 加害者擁護になるので言いたくはないが。「慰安婦」問題において「時間が残されていない」のは日政府のほうであることになぜ気づけないのか。被害者がすべて死んで居なくなれば解決すると思っているのかもしれないが、被害者に直接謝罪をし「赦し」を得られる(かもしれないのは)「いま」しかない。 2012-06-14 10:24:39 @novluno 戦時での加害に加え、これまでの不誠実な態度ひとつひとつを覚えている「こどもたち」がこれからも増えていくことを日政府は止められない。加害の隠蔽なんてできない。日大使館の前の平和碑少女の今の姿を見てまだ逃げられると思っているのか。 http://t.co/Nk323s0j 2012-06-14 10:30:44

    novlunoさんによる「慰安婦」基本的な事実解説
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/06/17
    戦地に置き去りにされた人も少なくないのに韓国政府Disって何になると言うのか?
  • 従軍慰安婦高収入説は誤り・2(再掲) - 誰かの妄想・はてなブログ版

    2007年版は以下です。 慰安婦と軍票|誰かの妄想 高収入説再検証・根拠資料「関東軍女子特殊軍属服務規定」 これは歴史修正主義者であった故・小室直樹氏が従軍慰安婦高給説に利用*1した資料ですが、小室氏は直接「関東軍女子特殊軍属服務規定」なる資料にあたったわけではなく、孫引きです。「関東軍女子特殊軍属服務規定」の現物はおそらく日には残っていないでしょう。 元ネタは「従軍慰安婦110番―電話の向こうから歴史の声が」(明石書店、1992年)に記載された元兵士たちによる電話での証言です。 このうち、1992年当時78歳だった元軍医の電話での話として、以下の記述があります。 「軍女子特殊軍属服務規定」は分厚い規定書で、詳細な規定が網羅されていました。関東軍後方部隊3100部隊の衛生部の所轄でした。いわゆる、慰安婦の取扱い規定で、女子特殊軍属というのは、「朝鮮ピー」のことです。この中には給与規定もあ

    従軍慰安婦高収入説は誤り・2(再掲) - 誰かの妄想・はてなブログ版
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/03/25
    "ごく短期間しか働けないことを考慮すると、従軍慰安婦が優遇されたとは言いがたい金額/慰安婦の経歴がつくことで周囲から蔑視され、結婚の望みも絶たれる、そういう時代背景を考慮した時、適正な額だったかどうか。"
  • 陸軍、海軍の階級別 月収・年収一覧表(1943年) - Transnational History

    陸海軍人給与(昭和18年) 陸 軍 月額 年額 海 軍 月額 年額 大将 550 6600 大将 550 6600 中将 483 5800 中将 483 5800 少将 416 5000 少将 416 5000 大佐 370 4440 大佐 345 4150 中佐 310 3720 中佐 268 3220 少佐 220 2640 少佐 194 2330 大尉 155 1860 大尉 158 1900 中尉 94 1130 中尉 94 1130 少尉 70 850 少尉 70 850 准尉 110 1320 兵曹長 101 1220 曹長 75 900 上等兵曹 55 660 軍曹 30 360 一等兵曹 28 346 伍長 20 240 二等兵曹 23 278 兵長 13 156 兵長 16 192 上等兵 10 120 上等兵 13 156 一等兵 9 108 一等兵 11 139 二等

  • 日本軍の慰安所政策について

    2004年9月18日、ソウル大学校ジェンダー研究所と社会史研究会共催のセミナーでおこなった報告の原稿に、2005年6月12日に「追記」を付加した。 日軍の慰安所政策について 永井 和 (京都大学文学研究科教授) この報告は、永井和「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」『二十世紀研究』創刊号、2000年をもとに、一部補足したものである。 はじめに 問題の所在 Ⅰ.警察資料について Ⅱ.陸軍慰安所の創設 Ⅲ.日国内における慰安婦募集活動 1.和歌山の誘拐容疑事件 2.北関東・南東北での募集活動 Ⅳ.地方警察の反応と内務省の対策 おわりに 補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設 追記(2005年6月12日記) 注 はじめに はじめまして、永井和と申します。日の京都大学で日現代史を教えております。しばらくの間、おつきあいをよろしくお願いいたします。まず、この研究会にお招きいただき、報告す

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/12/19
    結局、売春施設は欲しいが大っぴらにはできないから目的を偽って集めろ、警察は干渉するなと言う命令だったという話/これを踏まえずに「軍が業者を取り締まった証拠」と言ってしまうのは罪深い
  • 東京新聞:兵事資料 背景見つめて 証言集めた映画上映へ:社会(TOKYO Web)

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/11/16
    "終戦直後、大本営から全国の役場に焼却命令が/ドキュメンタリー映画「大本営最後の指令」(長尾栄治監督)/徴兵検査の対象者を記載した壮丁名簿、在郷軍人名簿など。軍の命令に背いてひそかに残されていた"
  • asahi.com:【戦争と詩人】3 南京-マイタウン三重

    ◆残虐行為 見聞をつづる◆ 2冊の従軍手帳がある。 手のひら大の黒革の表紙。錦米次郎が、癖のある豆粒のような字をびっしりと書き込んでいる。1939年分は合計98ページ、約6千行に及ぶ。 南京事件後の39年の元日、「南京で思い出し難いのは難民共のことだ」と記している。その後の4行は黒塗りされ、三重大教授の尾西康充(44)は「帰国の際、憲兵の検閲を受けて削除された」とみる。 黒塗りの後はこう続く。「世界大戦の時、巴里(ぱり)には処女は一人もいないとで読んだことがあるが、自分らのいた南京もそういえないことはない」「自分は正月を迎えるごとに南京を思い出すだろう。それほど南京の街町は自分の脳裏に焼き付けている」 南京攻略戦は、錦が所属した陸軍16師団などが中心となった。16師団長は南京警備司令官として「峻烈(しゅんれつ)な残敵掃討」を命じた。 錦の軍隊手帳では「37年12月2日から12

  • 化学兵器写真帳 | 旧軍毒ガス弾等の対策について

    【資料紹介】 陸軍科学研究所高等官集会所化学兵器輯録刊行会委員編 『化学兵器写真帳』(昭和9年) この資料は、戦前、旧陸軍が一般国民に対して化学兵器に関する知識を普及・啓発するために作成したものです。内容は第1次世界大戦における欧米列強の化学戦装備等であり、当時の化学兵器の様子等を示す資料であることから、ここに紹介します(資料は個人蔵です。所蔵者の了解を得て掲載しています)。 (下記の各項目をクリックすると該当するPDFファイルが開きます) 表紙・序 [PDF 336KB] 目次 [PDF 449KB] 一・化学戦…毒ガス戦 [PDF 765KB] 二・火焔戦 [PDF 226KB] 三・毒ガスに依る死傷 [PDF 179KB] 四・ガス兵器及び用法 [PDF 934KB] 五・発煙剤による煙幕遮蔽 [PDF 640KB] 六・防毒面及酸素呼吸器 [PDF 864KB] 七・防毒面を装着

    化学兵器写真帳 | 旧軍毒ガス弾等の対策について
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