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じ:人権とに:日中戦争とぐ:軍隊に関するdimitrygorodokのブックマーク (3)

  • 「国民を使い捨て」 中国残留の元日本兵が戦後の戦死事実を語る/川崎:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

    終戦後も約4年にわたり中国での戦闘を強いられた元山西省残留日兵・稲葉績(いさお)さん(89)=さいたま市=の証言集会が9日、川崎市幸区で開かれた。残留命令を受けて山西省にとどまり、八路軍(共産党軍)との激闘で多くの日兵が「戦後」とされる時期に戦死した事実を詳細に語った。 「中国山西省日軍残留問題」として一般的に知られる。終戦後も2600人が現地にとどまって国民党軍とともに共産党軍と戦い、4年間で約560人が戦死した。ポツダム宣言で定めた武装解除に反する行為となるため、日政府はいまでも軍命による残留を認めず、兵士らが自らの意志で中国の内戦に加わったとしている。 稲葉さんは1943年に学徒動員で陸軍に入隊。中国戦線に送られ山西省で終戦を迎えた。 証言集会では、46年2月上官に呼ばれた際のやりとりを述懐。「帰国の話で呼ばれたと思ったが、上官からは『作戦命令』が出された。3分の1の兵

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/11/11
    生きた人間をトラップ代わりに置き去りか…こういう命令は絶対文書で渡す事は無いだろうな。同胞すら平気で切り捨てる美しい国・大日本帝国。今もその伝統はブラック企業等の形で根深く受け継がれている。
  • 「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」に見る日本軍の軍紀 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    昭和15年1940年11月に大営陸軍部研究班が作成した「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」という史料があります。 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110762200、支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案) 昭和15年11月(防衛省防衛研究所)」 第三 主トシテ戦地ニ於テ著意スベキ事項 一、皇軍ノ質並ニ今次聖戦ノ意義ヲ的確ニ把握シ其ノ行動ヲシテ之ニ即応セシムルヲ要ス 事変勃発以来ノ実状ニ徴スルニ赫々タル武勲ノ反面ニ掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等皇軍タルノ質ニ反スル幾多ノ犯行ヲ生ジ為ニ聖戦目的ノ達成ヲ困難ナラシメアルハ遺憾トスル所ナリ宜シク皇軍ノ質並ニ今次聖戦ノ目的ハ抗日排日容共政権及其ノ軍隊ヲ打倒シ東洋永遠ノ平和ヲ確立シ新秩序ノ建設ニ寄与スルニ在リテ決シテ一般民衆ヲ敵トスルモノニアラザル所以ヲ一兵ニ至ル迄徹底セシメ其ノ行動ヲシテ之ニ

    「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」に見る日本軍の軍紀 - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 「初めて人を殺す」 - Apeman’s diary

    大島軍曹は即座に上官の「鶴の一声」に従い、 「では、列の最後尾にいる者から順番に刺突することにする。最後尾にいる者は前へ出ろ」 と怒鳴った。しかし、誰も前に出る者はいない。私たちの間にざわめきが起こった。列にビリにいるのは馬場二等兵にきまっている。その馬場はすっかり臆してしまって前へ出ないのだ。 「最後尾にいるのは馬場二等兵だな。馬場、前へ出んか!」 大島軍曹がまた怒鳴った。しかし、馬場は返事もしなければ前へもでない。たまりかねた亀岡兵長が馬場二等兵のもとへ飛んで行って、 「馬場二等兵、貴様、班長殿がおっしゃっていることが聞こえんのか」 と、馬場二等兵の胸ぐらをつかんで、前へ引きずり出した。 「さあ、銃剣を構えるんだ。そして標的めがけて突進するんだ。なにも恐れることはない」 亀岡兵長はいちいち馬場二等兵の手をとって、どうにか銃剣を構えさせた。 「突っ込め!」 兵長は馬場の肩を力一杯押した。

    「初めて人を殺す」 - Apeman’s diary
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/01/14
    コメ欄の半兵衛氏の理屈では中共やポルポト並の規模にならなければ自らの過ちは正せない事になってしまう。傷の浅いうちに引き返そうという気が無いのか?それに日本軍の行動は共産思想と関係ないし。
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