東京電力福島第一原発の所長だった故・吉田昌郎氏は、官邸にいた東電武黒フェロー(元副社長)からの命令を無視して、独断で原子炉への海水注入を継続し、脚光を浴びた。 親分肌の人柄や、首相や東電本店にも物怖じしない豪胆さも相まって、一躍「英雄」になった。一方で、彼を神格化し、一言半句の批判も許さない国民の熱狂ぶりには違和感を覚えた。 私は、今般上梓した『ザ・原発所長』の中で、彼の生い立ちと人間形成の過程を明らかにし、功罪を論じるための材料を読者に提供したいと考えた。 子供の頃から親分肌 メディアで報道されている吉田氏の経歴は大阪教育大学附属高校天王寺校舎以降である。私はツテを辿って、幼少時を知る人々に会って話を聞いた。 彼は、菓子・人形・紙器などの商店や問屋が軒を連ねる大阪の松屋町筋に近い中央区瓦屋町の出で、金甌(きんおう)小学校(現在は統合され、大阪市立中央小学校)に通っていた。明治6年に開校さ
東京電力は10日、原発事故後に福島第1原発などで行ってきた3月11日の社長訓示について、今年はオンライン形式とし、終了後の報道陣の取材に応じないと公表した。原発事故後、東電の社長が3月11日に本県を訪れず、取材にも応じないのは初めて。原発事故から10年が経過する中、小早川智明社長自らが説明責任を放棄した形となり、東電の当事者としての責任感が薄れていることが浮き彫りになった。 東電は5日、新型コロナウイルス感染拡大防止に向け、今回の社長訓示をオンライン形式で行うと発表。福島民友新聞社などは東電に対し、小早川社長に当日のオンライン取材の対応を申し入れていたが、10日に「限られた時間の中、オンライン取材に応じれば報道各社への対応に差が出る」と拒否回答があった。 東電の社長は例年、3月11日に廃炉作業の最前線となる県内の各現場を訪れてきた。震災が起きた午後2時46分に黙とうし、事故の教訓や本県復興
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