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せ:戦時国際法とれ:歴史に関するdimitrygorodokのブックマーク (4)

  • ニュルンベルク・東京からバグダッドへの道 - Apeman’s diary

    昨日大掃除をしていたら、5月10日付けの新聞が出てきた。ブログでとりあげようと思って捨てずにとっておいたものの、それっきりになっていたものである。「歴史と向き合う アントニオ・カッセーゼ氏(旧ユーゴ戦犯法廷元所長)に聞く 東京裁判の遺産は何ですか」(朝日新聞、2006年5月10日、「オピニオン」面)。カッセーゼ氏は1937年生まれ、04年から05年まではダルフール虐殺に関する国連の国際調査委員会長を務める。レーリンク判事との共著(ただしレーリンク判事の死後)として、『レーリンク判事の東京裁判・歴史的証言と展望』を出版(93年)。聞き手はローマ支局長郷富佐子。 ――国際法学者として東京裁判をどう評価しますか。 「東京裁判は(ナチスドイツを裁いた)ニュルンベルク裁判と同様に、戦争犯罪を法廷で裁いたという意味で重要でした。この法廷がなければ、恩赦か処刑かの選択肢かなかった。でも、深刻な欠陥もあり

    ニュルンベルク・東京からバグダッドへの道 - Apeman’s diary
  • 戦死者の冒涜は戦争の歴史か? : Spike's Military Affair Review

    military.comが兵士による敵戦死者への冒涜について報じました。その要点を紹介します。 アキレスがトロイの城壁の周りでヘクターの死体を引きずり回して以来、メッセージを送るか、復讐のために、戦士たちは打ち倒された敵の死体を冒涜して来ました。 アフガニスタンに派遣される前に戦時法を海兵隊に教えるポール・ハケット海兵隊予備役中佐(Lt. Col. Paul Hackett)は金曜日に、彼は海兵隊員の行動を許容しないことを明らかにしました。しかし、彼はあまりにも厳しく罰を与えないよう警告し、「若者に生きるために人を殺すように要求する時、それを制限するのには沢山の努力をします」。長い戦争歴史の中では、この出来事は他の戦場の非道さに比べると色あせます。しかし、今回の一つの相違点は、インターネットの時代には、それはカメラで撮影され、すぐに全世界と共有されるということでした。心理学者でドレクセル

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/01/18
    軍の任務(公的貢献)として始まる戦争と個人的報復の関係性、歴史的側面
  • 「市民にとっては、無抵抗こそ最大の戦力である」 - Apeman’s diary

    どこのお花畑野郎でしょうか、「無抵抗こそ最大の戦力」だなどと抜かしているのは? それがですね、元関東軍作戦参謀、草地貞吾大佐なのであります! 栗原俊雄著の『シベリア抑留――未完の悲劇』(岩波新書)は、「関東軍が居留民を見捨てた」という批判に対する草地大佐の反論を『関東軍作戦参謀の証言』から紹介しています。曰く、「あの作戦時、なぜ関東軍は居留民保護の兵力をさし出さなかったか(……)とただされれば、それはただ一つ、作戦任務の要請であったと答えるばかりである」、と(『シベリア抑留』、22ページ)。 では取り残された民間人はどうすればよかったのか? 同書、22-23ページより。 「市民にとっては、無抵抗こそ最大の戦力である。いかに暴戻残虐なるものも、無抵抗者に対しては手の下しようがないのである。 僅少な武装警官に援護されたり、自ら若干の自衛装備をもっていたばかりに、開拓民等の避難集団がソ連の重火器

    「市民にとっては、無抵抗こそ最大の戦力である」 - Apeman’s diary
  • 南京侵攻について、憲兵・上砂勝七の証言 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    南京侵攻に関して、第十軍の憲兵だった上砂勝七氏(陸軍少将。終戦時、台湾憲兵隊司令官)の証言。 上砂勝七氏「憲兵三十一年」より 南京攻略のため、柳川軍が編成され、二十有余隻の船団を組んで、堂々杭州湾李宅の浜に敵前上陸を敢行し、「日軍百万杭州北岸に上陸す」のアドバルーンを揚げたのは、昭和十二年十二月五日の払暁であった。そして息をもつかず、金山、嘉興、湖州の敵の前進部隊を撃破しつつ、南京へ、南京へと前進を続けたのである。 上海派遣軍司令官は松井石根大将(A級戦犯で絞首刑)で、南京攻撃のため、朝香宮の指揮する軍を東の方から、柳川中将の率いる軍を南方から進めたので、柳川軍としては朝香宮軍に連繋して、遅れをとらないように、朝香宮の軍は何日、何処の線を突破して前進、何日何処の陣地を攻撃と情報の入る度に、作戦参謀はあせり気味だった。 或る日、柳川軍の幕僚会議が開かれた席上、作戦課長藤鉄熊大佐(ノモンハン

    南京侵攻について、憲兵・上砂勝七の証言 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2009/01/15
    「皇軍が皇軍らしい行動に、些かの欠けるところがなかったなら、数万の金品を使って宣撫したり、百万言を用いて演説するよりも、住民は自ら軍を信頼し皇威に服したであろうに、遺憾なことであった。」
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