国際社会が捕鯨を攻撃した時、自分は少し不安だが、とにかく鯨なんか別に美味しくないから何も行動にでなかった。 次に国際社会は靖国神社参拝を攻撃した。仏教徒なので何も行動にでなかった。 次に国際社会が天皇の戦争責任を蒸し返した時、私は日本人であった。行動にでたが、その時は既に遅かった
昭和天皇が一九八八年にA級戦犯の靖国神社合祀(ごうし)に“不快感”を示した発言が明らかになったことで、A級戦犯合祀の経緯があらためて注目されています。(藤田 健) 厚生省が名簿 靖国神社の合祀は、戦前は陸・海軍省から天皇に名簿が「上奏」され「裁可」を受けてからおこなわれていました。同神社は陸・海軍省の共管から戦後、一宗教法人になりましたが、戦後も、厚生省援護局(当時)が名簿を靖国神社に渡し、神社側が「祭神名票(さいしんめいひょう)」をつくって合祀しています。 A級戦犯も、六六年に厚生省から太平洋戦争開戦時の東条英機元首相ら十二人(のちに二人追加されて十四人)の名簿が靖国神社に送られ、七〇年の崇敬者総代会で合祀が了承されましたが、「宮司預かり」となり、当時の筑波藤麿宮司の在職中は実施されませんでした。 厚生省から名簿が送られてきたことは、“靖国”派が「A級戦犯合祀は、靖国神社が勝手にやったの
本日4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効された日。そして、本年はちょうど60年という節目の年。 全国紙の社説を見てみる。このことに触れているのは、産経新聞と毎日新聞のみ。コラムにおいては一紙もない。さして関心持たれるテーマでもないのだろう。 2006年5月2日付けで私が自分のブログ内で書き上げた文章を再掲する。今、読み返し、ちょっとどうかと感じる箇所や、やや、肩肘張った感もするが、まぁ、一つの気持ちを表したもの。ベクトルは変わっていない。なぜ、4月28日でなく、5月2日付けなのかは最後部分で言い訳している。 以下。 『4月28日「日本の独立記念日」』(2006年5月2日) ゴールデンウィークただ中である。 一体、祝日というものは、「この国のかたち」を端的に表す象徴的なものの一つといえる。わが国の場合でも、その中には、日本の伝統・文化・風習等々が、自ずから感じられるものであるはずである
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