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と:統計とせ:戦争に関するdimitrygorodokのブックマーク (5)

  • 「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」に見る日本軍の軍紀2 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    以前紹介した「「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」の別の部分です。 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110758900、支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案) 昭和15年11月(防衛省防衛研究所)」 其ノ三 非行一般ノ状況 一、事変勃発以来昭和十四年六月迄満二箇年間ニ於ケル非行ノ消長推移ノ状況挿表第三(現地)第四(内地)ノ如シ 両表ハ憲兵ノ取扱ヒ又ハ知得セルモノノミノ分ヲ揚ゲ各部隊ニ於テ処分セル分ヲ含マズ 二、犯罪ハ昭和十四年ニ入リ稍減少ノ傾向ヲ示シツツアルモ非行ニ在リテハ何レノ方面ニ在リテモ底止スル所ヲ知ラズ全般的ニ激増ノ一途ヲ辿リツツアルハ誠ニ遺憾トスル所ナリ 非違ハ戦闘間又ハ移動中ニハ発生極メテ少ク駐屯又ハ警備中ニハ多発ス 三、非違ノ内容ハ方面ニ依リ又軍隊ノ動静ニ依リ種々ナルモ一般的ニ観察スレバ無断外出、離隊及飲酒酩酊ニ基ク暴行、

    「支那事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)」に見る日本軍の軍紀2 - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 米陸軍で7月に自殺率が倍増 : Spike's Military Affair Review

    military.comによれば、7月に米軍の現役兵士の自殺者が最高記録の26人に倍増しました。 別に予備役と州軍で12人の自殺の可能性があり、合計38人の自殺はアフガニスタンで殺された兵士32人を上回りました。7月は6月の現役兵12人の自殺から上昇し、予備役と州軍では6月と7月に12人が自殺しました。 基礎訓練における自殺防止と認識を強調しはじめた海兵隊は7月に8人の自殺が報告され、総計は2011年と同じ32人となりました。空軍は現役、州軍、予備役の合計で7月までの自殺者は63人で、2011年よりも5人増しでした。海軍は今年最初の7ヶ月間で39人で、2011年は52人でした。 2008年以降、国防総省は1億1,000万ドル以上を注ぎ込み、自殺ホットラインを設置し、精神医療の専門家を雇い、広範な自殺に関する研究を行いました。軍は強制的なメンタル健診と感情の回復訓練、いじめとしごきの取り締ま

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/08/20
    "戦地派遣されていない兵士は複数回派遣された兵士と同じくらい自殺しているとみられます。"
  • 生還した戦闘機が教えてくれること ~ 選択バイアスの罠 - Feel Like A Fallinstar

    久しくご無沙汰しておりました。 書くネタ自体は山ほどあるんですが、業が凄い勢いで動いているのでそっちに集中していましたです。 さて、たまには分析チックなお話を。統計でガチガチの石頭になってしまわないように、常に僕が気をつけていることの1つが「選択バイアスの罠」です。 生還した戦闘機、しなかった戦闘機 あ、ちなみに、いまきは別に統計や分析の(アカデミックな意味での)専門家ではないので、そのあたりはご容赦を(汗 時に1940年ごろ。 世界は第二次世界大戦の真っ只中です。 統計学者のエイブラハム・ワルドという方が戦闘機の脆弱性について調査していたそうです。 帰還した戦闘機の大量のデータが彼の元に届きます。 「入手したデータどれもが、戦闘機のある部分の被弾頻度が他の部分よりも過度に多いことを示していた。」 さて、ここからどういう結論を導けばいいのでしょうか? (ちょっと立ち止まって考えてから読ん

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/02/19
    余談だけど防弾の事を考えられなかった旧日本軍の余裕の無さが悲しい……
  • 「三光作戦」の犠牲者数 - Apeman’s diary

    従来「三光作戦」による死者数については姫田光義氏が岩波ブックレットの『「三光作戦」とは何だったか――中国人の見た日戦争』であげた「247万人以上」という推定があった*1が、先日紹介した笠原十九司氏の『日軍の治安戦』では「一般民衆で直接・間接に殺害された者が二八七万七三〇六人」(216ページ)とされている。南京事件の場合には日側資料だけからも加害規模の一端は明らかにできるが「華北の治安戦」の場合には事情が異なるので、これらはいずれも中国側の統計に基づくものだ。姫田、笠原両氏とも中国側の統計が直ちに信頼できる精度をもってはいないことを指摘する一方、笠原氏は人口規模のわかっている村単位での調査が行われていることをうけて「桁外れに誇張された数字ではないと思ってよい」(215ページ)とも評価している。 エリック・ホブズボームは The Age of Extremes: A History o

    「三光作戦」の犠牲者数 - Apeman’s diary
  • 問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール

    意志決定する人たちが数字に弱い。 基的に、四則計算しか/もできない。 かけ算割り算(それと按分ってやつ)に大小比較が、今でも最高の意志決定手段だったりする。 どれだけたくさんデータを集めても、平均値しか求めない(し知らない)。 かつて広大な領土を持つロシアでは、統計は非常に重要視された。 ほとんどのケースで「この目で見る」ことがかなわぬ状況で、統計の活用は(マイクロソフトのビル・ゲイツがそうだったように/例えば電気料金の詳細データから、照明がついている=それぞれの事務室が使用されているのべ時間を割り出し、各セクションの仕事の進捗具合や、人材の過不足を知った)、しゃぶりつくすまで徹底的に活用された。 でなければ、統治は不可能だった。 そのロシアとサルデーニャが組み、フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍と戦った。 戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半

    問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/04/06
    『さらに興味深いのは、ナイチンゲールが、今日通常示されるような面積あたりの人数ではなく、1人あたりの面積に注目している点である。』
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