独島(竹島)領有権問題に関して、近代化以前の江戸時代などの史料にほとんど価値はない、というのが私の個人的見解です。 近代的な測量技術をもって位置を明確にした上で国家として領有の意思を明示した史料としては1905年の島根県の告示が現存する最古のものと考えていますので、それ以降の史料でしか領有権の法的正当性を判断できないと思っています。もちろんそれらの史料を判断した結果、1905年の島根県告示が正当とみなせるかどうかは別問題です。 1900年の大韓帝国勅令41号は興味深い史料ではありますが、「石島」=独島(竹島)である決定打に欠け勅令周辺の史料研究が待たれるところで、現時点で私はそれほど重要視していません*1。とは言え、日本の外務省が指摘するほど不確かな史料というわけでもなく、「石島」=独島(竹島)という説は、それなりに蓋然性が高く、軽視するべきではないとは思ってます*2。 1877年太政官指