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に:日本とし:資料とぎ:行政に関するdimitrygorodokのブックマーク (1)

  • 独島(竹島)に対する1877年時点における日本政府の認識 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    島根県地籍編製係宛照会 1876年10月5日、国土地理院の前身である内務省地理寮から島根県地籍編製係にあてて、隠岐国沖にある「竹島」と呼ばれる孤島に関する照会文書が送られました*1。 地理寮としては旧鳥取藩の商船が往復していたなどと伝え聞いていたものの、隠岐を管轄する島根県に旧記・古図を調べて内務省に伺いを出すように求めたわけです。 「日海内竹島外一島地籍編纂方伺」 島根県は、この内務省地理寮発、島根県地籍編製係宛の文書を乙第28号文書とし、10月9日に検討した上で10月16日に内務省にあてて、「日海内竹島外一島地籍編纂方伺」を提出しています。 この時、島根県(県令・佐藤信寛)は短時日しかなかったため、大谷九右衛門と村川市兵衛の伝記について調べ竹島関連の略図を付けたのみで、詳細な調査は追って行うと報告していますが*2、添付した略図よりも詳細な地図がなく、来なら島を実検した上で詳細を付

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