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に:日本とせ:戦争とし:資料に関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • インパール作戦70年 追悼や資料館…地元で継承広がる:朝日新聞デジタル

    1944年に日軍がインド北東部インパールの占領を目指し、多くの死者を出した「インパール作戦」から70年。地元の人々が、激戦地の跡を調査し、散逸しつつある記録と記憶を掘り起こそうとしている。地元政府も格的な戦争資料館の建設に向けて支援に乗り出すなど、史実を刻む動きが広がっている。 インパール市内の住宅地。表通りから未舗装の路地を進んだところにある民家の2階を訪ねると、鉄かぶとやさびた銃、不発処理された砲弾や戦闘機の座席とみられる部品、当時の写真など約200点がずらりとならんでいた。 ここに住むアランバム・アンガンバさん(41)が、友人のユンナム・ラジェシュワルさん(36)らと資金を出し合って今年4月に開いた私設の「インパール戦争資料館」だ。 アランバムさんはインド軍将校を父に持ち、インパールで行われた戦争に以前から関心があった。一方、ユンナムさんは「戦争が起きて山中を逃げ惑った」と語る祖

    インパール作戦70年 追悼や資料館…地元で継承広がる:朝日新聞デジタル
  • あまり利用することはなかったが - 法華狼の日記

    ちょっと新聞を読んでいて気になったのでメモしておく。インターネット上で公開されている史料として便利なのだが、専門家でも引用している例が見当たらないのはこういう事情があったからだろうか。 http://mainichi.jp/kansai/news/20100906ddf041040016000c.html 国立公文書館アジア歴史資料センター(東京都千代田区)の明治期を中心にした公文書目録に、多数の誤りがあることが松山市の海事史研究家、松尾忠博さん(86)の指摘で分かった。業者に年約3500万円を支払って目録作成を委託しているが、年約20万件と多いためチェックしきれないという。【村田拓也】 センターは村山富市首相(当時)が提唱し、近隣諸国との歴史認識を共有するため01年に開設。明治初期から太平洋戦争終結までの公文書約152万点をインターネット上で公開している。目録には、歴史文書の冒頭300字

    あまり利用することはなかったが - 法華狼の日記
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/09/16
    予算も人手も圧倒的に足りないんだろうなぁ。この国は普通の公文書館でさえ……な状態だし。こういう所は事業仕分けで予算増やさなきゃいけないのでは?
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