〈問い〉 「真珠湾攻撃は『ハル・ノート』で無理難題をいわれ、やむなくやった」という人がいます。「ハル・ノート」とは何ですか?(東京・一読者) 〈答え〉 太平洋戦争の開戦は、アメリカが日本の要求を拒否し、ハル・ノートで、無理難題をいってきたのでやむをえなかったのだというのは“靖国派”がしきりに流している議論です。 ハル・ノートとは、開戦(1941年12月8日)直前の11月、アメリカが日本に提示した提案で、交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前から名づけられたもので、内容は「中国及びインドシナからの日本軍の即時撤兵」などを求めたものです。 “靖国派”のデタラメさは、このアメリカの要求は「今までの蓄積はすべて捨てろと言う事である」などと、日本の領土拡大の歴史を既得権として当然視して、日本の開戦を合理化していることです。 しかし、ハル・ノートの中身は、ここで突然示されたもので
従来「三光作戦」による死者数については姫田光義氏が岩波ブックレットの『「三光作戦」とは何だったか――中国人の見た日本の戦争』であげた「247万人以上」という推定があった*1が、先日紹介した笠原十九司氏の『日本軍の治安戦』では「一般民衆で直接・間接に殺害された者が二八七万七三〇六人」(216ページ)とされている。南京事件の場合には日本側資料だけからも加害規模の一端は明らかにできるが「華北の治安戦」の場合には事情が異なるので、これらはいずれも中国側の統計に基づくものだ。姫田、笠原両氏とも中国側の統計が直ちに信頼できる精度をもってはいないことを指摘する一方、笠原氏は人口規模のわかっている村単位での調査が行われていることをうけて「桁外れに誇張された数字ではないと思ってよい」(215ページ)とも評価している。 エリック・ホブズボームは The Age of Extremes: A History o
日中両国の有識者による初の歴史共同研究の成果をまとめた報告書が三十一日、公表された。焦点の南京事件(一九三七年)については、日本側も「日本軍による虐殺事件」と認定したが、犠牲者数をめぐっては、日本側が「二十万人を上限に四万人、二万人などの推計がある」と指摘したのに対し、中国側は「三十万人以上」と主張。近現代史を中心に両国の歴史認識の違いがあらためて浮き彫りになった。 報告書は「古代・中近世史」と「近現代史」の二部構成で計約五百五十ページ。両国の担当者がそれぞれの立場から共通の時代、テーマについて執筆した論文を併記した。近現代史のうち、天安門事件(八九年)などが含まれる「戦後史」については、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で報告書に盛り込まれなかった。
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