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に:日本とひ:批判とし:植民地に関するdimitrygorodokのブックマーク (3)

  • 暗殺された時の伊藤博文は、韓国併合反対派ではなかった - 法華狼の日記

    韓国における安重根顕彰の動きと、それに対する日政府の反発、それに対する反発が報じられている。 http://www.asahi.com/articles/TKY201311190392.html 菅氏は19日午前の会見で、中国・ハルビン駅で安重根が伊藤博文を暗殺した現場を示す碑を設置する動きについて「我が国は安重根を犯罪者と韓国政府に伝えている。このような動きは日韓関係のためにはならない」と強い不快感を示した。これに対し、趙氏は同日の定例会見で「日の帝国主義時代に伊藤博文がどんな人物だったのかを振り返れば、官房長官発言はありえない」と指摘。「安重根義士は我が国の独立と東洋の平和のために命を捧げた」と強調した。 これに対しては、その時々の司法が認定する「犯罪者」と、「英雄」という評価は基準が異なるという話でしかない。 それとも、独裁国家で犯罪者とみなされた活動家や、宗主国に犯罪者とみなさ

    暗殺された時の伊藤博文は、韓国併合反対派ではなかった - 法華狼の日記
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/11/20
    侵略者は非暴力の抵抗ですら一方的に敵視、暴力で鎮圧してきた。日韓関係では「言葉」が通じなかったのは日本の方。伊藤暗殺の遥か以前から行使されてきた日本側の暴力に目を瞑る歴史修正主義者の白々しさ。
  • 丹波マンガン記念館 閉館にあたって

    丹波マンガン記念館は1986年より開始しました。京北町の町長に第三セクターで一緒に博物館を作らないかと持ちかけましたが丹波マンガン記念館で朝鮮人の強制連行や被差別部落の人が働いた歴史、じん肺の歴史を展示するのがわかると「そういう歴史は暗い歴史でそういうことを出すと町のイメージが悪くなる」と断られ京都府と旧京北町に妨害と非協力にさらされながら個人の力によって3年の歳月をかけ建設をし1989年(平成元年)に開館しました。 初代館長の李 貞鎬が6年2代目館長の私 李 龍植が14年運営しました。 それから約20年一度も黒字がなく運営し続けてきました。 開館以来14年京都府も京北町も一度も補助金をだそうとはしませんでしたが、いよいよ財政的危機に直面したとき人権ネットを中心とした皆様の御協力により500万円のカンパを頂きました。 しかし年間500万円の慢性的な赤字はそれからも改善せず会員は増え

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/02/07
    少し前のTBS Lifeでアーカイブネタを扱ってたが、こういう戦争博物館の話題は上っ面を撫でる程度で腰が引けてる感じだったなぁ。公文書館機能が弱い点にはしきりに突っ込んでたのにな。
  • 勝てればいいのか? - シートン俗物記

    毎年、8月15日前後に戦争関連番組が放映される。自分はドラマはあまり見ない方なので、NHKのドキュメンタリーにほぼ限定された形になるのだが、番組の論調に少し気になる事がある。 国の方針の間違い、戦争指導の愚かさを取り上げるのは良いのだが、正しく、合理的に振る舞っていたならばいいのだろうか? 平たくいえば、「負ける戦争を起こしたことが悪い」のであって、「勝てるようにすべきだった」のだろうか。どうにも、番組の主眼がテクニカルな部分に焦点が当てるところに向いている気がしてならない。 私としては勝てようとも戦争を起こす事にも他国を植民地化する事にも反対であって、合理性の問題に矮小化して語られる事に違和感がある。 それとも、合理的に振る舞っていれば、そもそも朝鮮半島や大陸進出など行う事は無かった、という事なのだろうか。

    勝てればいいのか? - シートン俗物記
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/08/17
    侵略国家として成功を掴む事に何か意味は有るのか?いや、無い(反語)/どうせ当時のメンタリティじゃ「◯◯が攻めてくるからそれに備えるんだ」とズンズン拡張し続けて後戻りできなくなる罠
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