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に:日本とぶ:文化とし:宗教に関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • 「なんだかんだ言っても同じ人間」による寛容さなど寛容のうちに入らない

    『原理主義から世界の動きが見える』の中で、中田考先生が面白いことを指摘されています。 (・・・)日というのは決して寛容な世界ではないわけです。日に当てはまらないと思ったものに関しては、いかに残酷になりうるのかということを表している。 また、キリシタンの迫害のときに、仏教徒や神道派のなかから、「彼ら(キリスト教徒)はわれわれとは違うのだけれども、自由のために彼ら、そして彼らの意見は尊重しなければいけない」という議論はいっさい出てこ無かった。ここにも異質な部分に関しては受け入れないという事実が、日には一貫してありましたね。 つまり、日のいう「寛容」というのは、「あくまで人間同じなんだ、だからいっしょになれるんだ」というスタンスの「寛容」なわけです。 自分がぼんやりと感じていた違和感を上手く表現してもらえたようで、非常にストンと落ちました。 ムスリムではない日人と話していて、少しいい加

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2015/02/28
    全肯定or全否定と極端に振れるより衝突が日常であるにせよ程々で済む方がマシというのはそうかも。"「こいつホンマ気にくわないけど殺すのは明日にしとくか」とかで流し"というのはNATO関係の本読んだ時も感じた。
  • 『神社の起源と古代朝鮮』 - Arisanのノート

    新書704神社の起源と古代朝鮮 (平凡社新書) 作者: 岡谷公二出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2013/11/15メディア: 新書この商品を含むブログ (7件) を見る 店先で平積みされてるのを見て何となく買ったのだが、思った以上に刺激的な内容だった。 著者は、最も日的なものみたいに思われている神社というものの起源が、実は古代の朝鮮半島との関わりのなかにあると考え、その原像を求めて、日各地から韓国までを歩く。 そこから浮かび上がるのは、古代の姿ばかりでなく、現在のこの国の「実像」であるようにも思われる。 第一、二、三章では、現在の福井県敦賀から滋賀県北部にかけて、古代朝鮮、特に新羅の人々と文化が大きな影響を与えながら移動した痕跡が残っていることが語られている。その時代、この地域は畿内以上の文化的・技術的先進地域だったというのである。 それは、新羅・伽耶の名残を残した神社の名や、地

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