例年にない酷暑となった六八年目の八月一五日正午を、私は小さな緊張の中で迎えた。昨年末の総選挙に続き、七月の参院選でも大勝した安倍首相が、日本武道館での終戦追悼式典での式辞で例年の首相挨拶とは違った「独自色」を出すのではないか、と思われたからである。 やはりというか、首相挨拶では一九九三年の細川首相以来続いていた太平洋戦争でのアジア諸国の犠牲者に対する遺憾の意の表明が消えていた。二〇〇七年には安部首相自ら謹んで哀悼の意を表すと述べていた。いかにも靖国参拝見送りの代償といった感じもぬぐえないこの変身に、周知のように中国、韓国の反響は厳しいものだった。少なくとも靖国参拝見送りの決断とは相殺された。依然として首脳会談さえ宙に浮く中国、韓国とのぎくしゃくした関係の打開は先送りされてしまっている。 アベノミクスの大胆な展開の元で、長期政権の道を固め、二〇二〇年五輪の東京招致に成功という追い風まで受けた