東京裁判で処刑された唯一の文官・広田弘毅元首相が起訴されたのは、46年4月29日だ。判決は、南京事件への広田の対応を指弾した。「残虐行為をやめさせるために、直ちに措置を講ずることを閣議で主張せず」「かれの不作為は、犯罪的な過失に達する」(極東国際軍事裁判速記録第10巻) 48の罪で起訴された広田が有罪と認定された訴因は、三つだ。南京事件への「犯罪的な不作為」が命取りになったと言ってよい(服部龍二「広田弘毅『悲劇の宰相』の実像」中公新書)。 「南京事件というのはなかったのではないか」と言う名古屋市の河村たかし市長は、広田をどう見るか。不作為を問われ、絞首刑となった政治家を。 政府は判決を受諾しており、事件の存否は決着している。広田は従容と判決を受け入れ、刑場に立ったという。 以前、河村市長に「マスコミはすぐ冷めるからいかんわ」とおしかりを受けたことがある。忠告を胸に、私は市長の南京発言にこだ