糸井重里さんが原発を守るために命を捧げた映画を絶賛して泣いている。糸井さんは、忌野清志郎ボスが原発や戦争を恐れた歌を「くだらない」と批判した人だ。原発を恐れるのはくだらなくて、命を捧げるのは素晴らしいのか。 https://t.co/u74Mbj4UjL
いやー、タカシ!ダメすぎ! それにしても、河村タカシや上杉タカシだけじゃなくて、小田嶋タカシまでとは。 レッテルとしてのフクシマ http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120322/230156/ まるで関係の無い話に聞こえるかもしれないが、私は、南京大虐殺についての言論状況を連想する。 南京事件について意見を言おうとしているのではない。 ただ、南京をめぐる話が、猛烈にめんどうくさいことになっている点を指摘することで、福島関連の議論が、同じ状況に陥らないように注意を促したいだけだ。 福島は、南京化しつつある。これは、とてもよくない傾向だ。 特定の事件について、二つの対立する勢力が、互いに相容れない見解をぶつけあっている場合、議論は、空洞化する。歩み寄る姿勢を持たない論争は、平行線どころか、より対立を深める方向で推移するものなのだ。 特に
月末に福島を訪問しようと思っている。 この話をすると 「え?」 という反応が返ってくる。 「大丈夫なの?」 大丈夫に決まっている。福島の人たちは毎日そこで暮らしている。外から出かける人間が、2日か3日現地の空気を吸って土地の食べ物を食べたからといって何が危険だというのだ? もちろん、「大丈夫なのか」と尋ねた知人も、本気であぶないと思ってそう言ったのではない。「福島」という言葉を聞いて、反射的にそういう反応をしてしまったというだけのことだ。 この反応はわりあいに一般的だ。というよりもむしろ、ほとんどの人は、ちょっと驚いた態度を示すことになっている。 「えっ、フクシマ?」 「フクシマ? ヤバくないのか?」 「取材だよな?」 「どうしてよりによってフクシマに?」 「おお、チャレンジャーだな」 悪気があるわけではない。差別しているのでもない。ただ、現状の日本では、会話の中に出てくる「フクシマ」とい
ロムえもんさんのツイートで受賞作決定を知る。 http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/index.html 今回から優秀賞(社会人部門、学生部門)もPDFで公開されるようになったのですが、サー中松義郎博士の「日本は負けてない」は第1回の最優秀賞受賞作にも匹敵する、あるいはそれを凌駕するほどの高出力です。まあ元空自のトップのケースとは違ってこの人の場合はネタとして笑ってすますという誘惑にもかられるのですが、その元空自のトップや国会議員、右派論壇人がこれに「優秀賞」を与えるという役割を引き受けている、という事実は笑いごとではすまないでしょう。日本の原爆開発についてはちょうど先日、ジョン・ダワーが書いた論文(『昭和 戦争と平和の日本』所収)を読んだところなのですが、“昭和天皇が原爆開発を止めさせた”という伝説を唱える人びとがいることは初めて知りました。ちょっと
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