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コミュニケーションとみ:民主主義に関するdimitrygorodokのブックマーク (4)

  • 「右派と左派の非対称性」について - 🍉しいたげられたしいたけ

    問題点をゴロリと切り出しただけの、考察も結論も薄いエントリーです。 津田大介 氏のこのインタビュー記事が、なぜか気になった。ブックマーク数を見るとホッテントリ入りするほどの数じゃなかったようだが、トッギャッターか何かの関連記事がバズったんだったっけ? よく覚えていない。 finders.me 上掲記事P2から一部引用します。 津田:ただ僕は、安易に「右派も左派も両極化しててどっちもどっち」みたいなことは言いたくないんですよね。だってそこには非対称性があるから。ネット右翼の人たちは、どんなに酷いことを言っても自分たちと価値観を同じくする人は擁護してくれます。擁護してくれて、さらには共通する敵を叩くというある種のエコシステムができている。 ただ左派の場合、最近で言えば安倍政権が終わった際の白井聡さんや石垣のりこさんの発言が批判されましたが、失言をすると右派からはもちろん叩かれるけど、左派からも

    「右派と左派の非対称性」について - 🍉しいたげられたしいたけ
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2021/01/01
    左派は内輪もめするせいで政局に弱いから損、と見る向きも有ろうが自然現象や他国の様な外部要因絡むと言論の質が担保されない勢力は途端にその弱点を露呈。それが第二次大戦の大敗(のみならず被害拡大)に繋がった。
  • 「まほうのみず」へ 学校保健室から消える消毒液 「傷の治り悪くする」 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース

    学校で転んでけがをしたら、保健室で消毒をしてもらう−。そんな光景がなくなりつつある。外科医の中で主流となっている「傷口は流水で洗い流す。消毒液は使わない」という応急処置法が、教育現場でも浸透してきたからだ。 傷、消毒せず、乾かさず 治りが早い「湿潤療法」 ただ、家庭では「傷口にはまず消毒液」との認識が根強い。消毒液を使わない小学校では、児童や保護者を安心させるため、さまざまな工夫もなされている。 福岡市博多区のある小学校の保健室を訪れると、処置台に消毒液は一も置かれていなかった。養護教諭によると、3年ほど前から原則として傷に消毒液を使わなくなったという。 代わりに置かれているのが「まほうのみず」。養護教諭は「流水で洗い流した後に、魔法の水で消毒をするように洗ってあげると、子どもたちは安心する」と話す。中身は、実は普通の水道水だ。低学年の子どもたちのために、半年前から始めた工夫という。

    「まほうのみず」へ 学校保健室から消える消毒液 「傷の治り悪くする」 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2015/07/09
    専門分野の新しい知見は一般人が持っているとは限らず、しかも周知されない事には無用の軋轢がなくならない事に。結局、遠回りに思えても科学的裏付けのある説明を続けるのが一番ではないか?
  • 旗のキモさヤバさについて - Apeman’s diary

    私は旗が嫌いです。というか、旗を掲げる・旗を振るという行為が嫌いです。旗が振られている光景を見るのも嫌いです。なぜか? 「旗を振ること」は「人がやりたくないこと、やるのがつらいことを人にやらせる」手段の一つだからです。「やりたくないこと、やるのがつらいこと」を利で説くでもなく理で説くでもなく、(あえて雑駁な言い方をすれば)大脳新皮質ではなく大脳辺縁系にはたらきかけてやらせる、というところがキモいわけです。ヤバい感じがするわけです。 もちろん、「やりたくないこと、やるのがつらいこと」を避けて通るわけにいかない、という状況はこれまでも多々存在してきましたし、これからも起きるでしょう。そして利や理でもって説くという悠長な手段では間に合わないケースがあるのも確かでしょう。だから旗が振られること全てを同じように否定しようとは思いません。「キモい」という感覚を共有しろとも言いません。でもそれがはらむヤ

    旗のキモさヤバさについて - Apeman’s diary
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2013/03/27
    "(あえて雑駁な言い方をすれば)大脳新皮質ではなく大脳辺縁系にはたらきかけてやらせる、というところがキモい"/阪神タイガースとかGSとか交通誘導とかもある種の権威性を帯びるけどそんな記事じゃないと思うが(^^;
  • マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記

    あたしが小学5〜6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。 このルール下だと、「今度クラスのレクリエーション時間でどんなスポーツをやるか」なんて議題で話し合うとき、ただ各自で 「バスケがいいでーす」 「ソフトボールがいいでーす」 「ドッジボールがしたいでーす」みたいに提案だけしていきなり採決ってのはダメなわけ。提案するには、絶対に「なぜ自分はクラスでこのスポーツをやるのがいいと思うのか」を言わなきゃいけないんです。 そうなってくると、「自分がバスケが好きだから」クラス全体でバスケをするべきだなんて言えないわけですよ。いくら小

    マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/01/18
    互いに主張の根拠を詳らかにする。議論はここからでないと始められない/これを知らない人が身近な年配者にもいて、「議論=喧嘩」と思いがちで困る事がある
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