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ゼノフォビアとTwitterに関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • 「外国人」というレッテルが独り歩きしてしまうとき|安田菜津紀(フォトジャーナリスト)

    新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として厚生労働省や首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。またコロナワクチンに関する情報は首相官邸のウェブサイトをご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に注意書きを一時的に出しています。 ※この記事には、差別的な言葉も記述されています。そうした差別があってはならない、という内容ではありますが、読まれる方はご注意下さい。 ラジオやテレビの報道番組では、政治の不祥事、政策の不備に対して批判的にコメントすることが多々あります。その度にSNS経由で、発言への「批判」というよりも、「罵詈雑言」の言葉が寄せられます。 「こんな反日分子は排除しなければ」 「外国人が日政治に口出すな」 中には「どう見ても”朝鮮耳”、日人じゃない」と身体的な特徴を、侮蔑的な文脈で揶揄するものもありま

    「外国人」というレッテルが独り歩きしてしまうとき|安田菜津紀(フォトジャーナリスト)
  • 排外主義の自然化 - apesnotmonkeysの日記

    きっかけは m_debugger 氏のエントリ「山口二郎、レイシストとして格デビュー」に私がブクマをつけて、ブコメで「「外国人、カルト集団など、が周囲に目立つようになると、人間は不安に陥る。これらのアイデンティティに対する脅威も、生存のリスクに含まれる」という超差別言説を自ら流布」という一節を引用しておいたことである。私は『自由への問い 2 社会保障――セキュリティの構造転換へ』を読んでいないので「レイシスト」「超差別言説」という評価に直ちに同意するわけではないが、そのような批判が妥当する可能性は十分にあると考えたからである。 まず第一に、「アイデンティティに対する脅威」を言うのであれば、それをもっとも切実に感じているのは様々なマイノリティ、とりわけ存在すらなかなか認知されないような集団や、公的に攻撃の対象となっている(e.g. いまの日でいえば朝鮮学校の生徒・保護者)集団であるはずだ

    排外主義の自然化 - apesnotmonkeysの日記
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