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ソ連とげ:原発に関するdimitrygorodokのブックマーク (7)

  • アレクシエービヴィチ女史がノーベル文学賞

    【ベラルーシの作家にノーベル文学賞】 スウェーデン・アカデミーは8日、2015年のノーベル文学賞を、旧ソ連を構成したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさん(67)に授与すると発表した。 授賞理由では「私たちの時代の人々の苦悩や勇気を、多くの聞き書きを通じて多層的に描き出した」などと評価した。アレクシエービッチさんはウクライナ生まれ。ベラルーシ大学を卒業後、ジャーナリスト、教師として活動した。ベラルーシの首都ミンスク在住。第二次大戦に従軍した女性や関係者を取材した第1作「戦争は女の顔をしていない」のほか、アフガニスタンを侵攻したソ連軍の帰還兵や家族の証言、チェルノブイリ原発事故に遭遇した人々を取材した作品などを発表している。アカデミーは「作品は人々の内なる声を注意深く重ね合わせたコラージュになっている。彼女は新たな文学のジャンルを発明した。彼女の作品を棚から外したら、そこに

    アレクシエービヴィチ女史がノーベル文学賞
  • チェルノブイリ甲状腺がんの歴史と教訓

    チェルノブイリ前夜 1985年 I-131 の甲状腺がんリスクはよく分かっていなかった 今では意外に思えるが、チェルノブイリ事故以前には I-131 による内部被ばくが人の甲状腺がんを引き起こしうるかどうかについては、あまりよく分かっていなかった。奇しくもチェルノブイリの前年である1985年に発行された NCRP Report 80 には、以下のような記述がある: “I-131 の甲状腺がんリスクは、同じ甲状腺被ばく量の急性外部被ばくや、I-132、I-133、I-135 による内部被ばくのせいぜい 1/3 か、もしかするとゼロかもしれない。” NCRP Report No. 80 - Induction of thyroid cancer by ionizing radiation http://www.ncrppublications.org/Reports/080 急性の外部被ばくに

    チェルノブイリ甲状腺がんの歴史と教訓
  • 隠された半世紀・ウラルの核汚染

    旧ソ連は核兵器開発のため、1945年、このウラルの森の中にプルトニウム生産工場を造ることを決めた。 テチャ川水系の豊富な水と秘密を守れるウラルの深い森は核兵器生産に最も適した土地だった。計画から2年半で暗号名チェリャビンスク40(現在はオジョールスク)という秘密都市が建設された。ここは最近まで地図にも載せられていなかった。 現在も、ロシア人すら入ることができない秘密都市だ。 元トラクター運転手のグスマノフ・ワフィル(68)は原因不明の骨折で苦しんでいる。1956年から61年まで汚染除去作業にかり出された、と言う。 (モスリューモバ村) 1948年最初の原子炉が動き出し、プルトニウムの生産が始まった。プルトニウム生産コンビナートは「マヤーク」(灯台)と呼ばれた。マヤークは3つの機能を持っていた。1,ウランを燃やす原子炉 2,使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場 3,プルトニウム金

  • 21世紀 核時代 負の遺産

    土が水が 体むしばむ 説明も避難指導もなく ロシアの首都モスクワから東へ約千五百キロ。大小三千五百以上の湖が点在するウラル山脈南東に位置する旧ソ連時代のかつての秘密都市「チェリャビンスク65」と隣接のプルトニウム核施設「マヤーク生産協同体」は、視界を遮る深い森の向こうにあった。 (上)緑の森の向こうにそびえるプルトニウム工場の煙突。兵器用プルトニウム生産は中止されたが、今も原発や原潜などから生じる使用済み核燃料の再処理が続く(チェリャビンスク州のマヤーク生産協同体) (下左)テチャ川のほとりのシラカバの幹に取り付けられた「立ち入り禁止区域」の標識。放射能汚染については一言も触れていない(ムスリュモボ村近郊) (下右)「注意 特別の許可なく外国人の立ち入り厳重禁止」。マヤーク核施設へ通じる道ばたに立てられた英語ロシア語の看板。1992年初頭までは、チェリャビンスク市にさえ外国人は入

  • 「永遠のチェルノブイリ」 - apesnotmonkeysの日記

    昨晩録画した NHK BS1 「世界のドキュメンタリー シリーズ チェルノブイリ事故 25年」の第1回、「永遠のチェルノブイリ」を観た。 チェルノブイリ原発事故から25年。事故を起こした原発はいまだに周囲を汚染し続け、その処理は今も続いている。しかし甚大な被害を被ったウクライナでさえ、事故は風化しつつある。番組は、チェルノブイリを題材にしたゲームソフトが流行している現状や、いま進められている対策が根的な解決にほど遠いことなどを指摘。さらに原子力エネルギーが注目を集め、ヨーロッパ各地に原発が次々と建てられている現状に警鐘を鳴らす。 (http://www.nhk.or.jp/wdoc/yotei/index.html?week=20110509) 福島第一原発の事故によって「スリーマイル」と「チェルノブイリ」は再び人々の記憶の底から浮かび上がってきたが、3月11日の大震災以前に制作されたこ

    「永遠のチェルノブイリ」 - apesnotmonkeysの日記
  • 講演録 「チェルノブイリで子供たちに何が起きたのか

    講演録「チェルノブイリで子供たちに何が起きたのか!」小児甲状腺がんの現状 菅谷(すげのや)昭先生  元 信州大学医学部第二外科助教授 1999年8月1日 午後二時〜 新潟県柏崎市ワークプラザ大会議室にて  主催 プルサーマルを考える医師歯科医師の会 プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク 講演録作成 (有)ユメディア (紹介) 講師の菅谷昭先生のご略歴をご紹介申し上げます。 菅谷昭先生は昭和18年(1943年)11月22日長野県更埴市にお生れになりました。1968年、昭和43年信州大学医学部をご卒業になられました。1968年4月から3年間、東京の聖ロカ国際病院にて研修されております。そして1971年に信州大学医学部第二外科にご入局されております。76年から78年まで2年位でしょうか、カナダのトロント大学の内科に留学されまして、甲状腺疾患の研究に携わっておられました。1982年、信州大

  • 事故直後のチェルノブイリ原発を撮影したビデオ(音声無し)

    ◆ブログ http://scrapjapan.wordpress.com/ ◆事故直後の数日間、チェルノブイリを撮影したビデオです。ソビエトのカメラマンであり映画監督であったVladmir Shevchenko の最後の撮影となりました。撮影されている現場の作業員や救急隊は致命的な量を遙かに超える放射線を浴びています。 Shevchenko氏も事故のあった1986年に無くなっています。彼の名前は公式の犠牲者リストにはありませんが、歴史を刻む貴重なビデオを残しました。 すべて表示 » «

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