若いころのダライ・ラマ14世の写真が飾られた自宅で50年を振り返るテンパさん=インド・ダラムサラ、小暮写す 「2、3年、インドで戦術を学んでチベットに戻り、中国軍と戦おうと思っていた。こんなに長くなるとはね」。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世がインドへ亡命するきっかけとなったチベット動乱からちょうど50年。当時を知る長老、グワン・テンパさん(81)が動乱を振り返った。 59年3月10日。チベットの中心都市ラサのノルブリンカ離宮前に数万人のチベット人が集まった。「ダライ・ラマを絶対ここから出すな」。当時は僧だったテンパさんもいた。動乱の始まりだった。 中国軍がラサに進駐して8年。チベットの自主性が脅かされる懸念が広がっていた。ラサの中国軍がダライ・ラマを観劇に招待したとの情報が流れ、「中国軍に拘束される」と心配が一気に広まったのだった。 19日夜、中国軍が離宮へ銃撃を始めた。