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自己啓発と再帰的近代に関するkiku-chanのブックマーク (3)

  • ぼくたちが望んだ無縁社会 – 橘玲 公式BLOG

    宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』を興味深く読んだので、忘れないうちに感想を書いておきたい。 宇野はこので、19世紀フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィル(『アメリカのデモクラシー』)を導き手とし、私たちにはあまり馴染みのない現代ヨーロッパの政治哲学者・社会学者の議論をひもときながら、だれもが「自分らしく」生きることを追及する「〈私〉時代」のデモクラシーの可能性を論じている(以下は私なりの解釈で、宇野のの正確な要約ではない)。 18世紀の産業革命によって経済(市場)は爆発的に拡大し、ひとびとは身分制(階層社会)の桎梏から解放され、人類史上はじめて「自由」と「平等」を理想として掲げることが可能になった。近代化とは、王制(神権政治)に対する社会改革=革命運動として始まった。 ところが第二次世界大戦後、社会がより豊かになると、ひとびとの関心は〈社会〉から〈私〉へと向かいはじめる。これ

    ぼくたちが望んだ無縁社会 – 橘玲 公式BLOG
    kiku-chan
    kiku-chan 2011/01/31
    再帰的近代を説明するのに@miyadaiさんは「合せ鏡」と書いていた気が。企業のQC活動もわかり易い例かな?PDCAサイクルでカイゼンを繰り返すうちに以前なら気にならなかったような問題が大きな問題に感じられるようになる
  • 自己啓発に抗してこの再帰的近代に「私」を守るために - あままこのブログ

    フェミニスト記-801 Feminist Diary- ↑を読んで考えたことをなんとなーくメモ 元々「自分史」って、社会から「自己=私」を守るためのものだった。 上記の記事では、企業が個人に「自分語り」を要求する、その際に「自分史」の再構築が求められ、それが就活のキツさの一因となっているっていうことが言われているよね。 まーそれは確かに正しいんだろうけど、しかし上記の記事はそこから「内面」を語ることや、「自己」を語ること全般が嫌悪すべきであるかのように言われていて、そこがちょっと違和感があった。*1 とゆーのもさ、もともと「自分史」とかを語ることによって「自己=私」を再構築しようっていうのは、社会から「私」を守るために始められたことだったわけじゃん。 これは、多分僕なんかよりフェミニストのid:nagano_haruさんの方がよっぽど深く知ってることなんだろうけど、元々「自分史」っていう

    自己啓発に抗してこの再帰的近代に「私」を守るために - あままこのブログ
    kiku-chan
    kiku-chan 2010/01/26
    少なくとも、「就活で失敗したら人生終了」みたいな考え方に支配されるような所に、学生の大半が追い込まれているようにも思う
  • なぜ、「働く」とこと「内面」がここまで結び付けられるのか? - 隠フェミニスト記

    日記サブプライムとかいうやつのあとに、とうとう日も若年層の雇用が危なくなる国の仲間入り?していますね。そこで、既得権益どうのこうのは別にどうでもいいや。何かとの対立を煽って気が済むのならばやればいいんじゃない? それよりも、私が憤りを感じるのは、企業が労働者を採用するときの「自己PR」をどんどん先鋭化させていくところだ。 人間が他者に侵害されてはならない、「啓発」も「啓蒙」もそう簡単に許してはならない「ココロ」のありようを審査しようとする就活とは何なのか? エントリーシートを書くために自分史を再構築する 今の就活の企業向け「自分語り」を無理やり構築しなければならない。大学の新卒組は3年生ぐらいから、エントリーシートを書くために、小学校一年生から自分史をさかのぼり、企業にアピールできる部分を抽出し、「自分はこんな人間です」という漠然とした疑問に企業が喜ぶ自己像を作り上げる作業をする。 対企

    kiku-chan
    kiku-chan 2010/01/25
    「啓発」や「啓蒙」された「自己」が晴れて採用され、就職した企業で対面する職場の内情は就活時に見せられた姿とは違って見えたりする(たいして立派なもんでもない)のでは?と思う。そりゃ早期離職するよと
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