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人生に関するmayumiuraのブックマーク (162)

  • ぐちゃぐちゃ

    当はもう、生きていく自信がないんだろうなぁ、って思う。ただそれでも僕が生き続けていられる理由は、好きな人がこの世界に存在しているっていうことだけなんだろうな。 あなたが見ている世界はとても美しいのでしょう。今、あなたの見ている世界は光り輝いて、キラキラしていて、かけがえのない空間なのでしょう。僕にはわかる。そして、誰が見ても明らかなのです。そして僕の見ている世界は、あなたの目線を通してのみ美しく見えるのです。 僕が自分の目を通してだけで見ている世界は、もはや一体なんなのかわかりません。もう言葉に出来ないぐらいぐちゃぐちゃで、絵の具入れの後ろを切って、キャンバスに落として出来ただけの醜いアートです。いや、アートに失礼だ。醜い水溜りです。 僕の希望はもう、あなたと結ばれることではありません。あなたが、今のように幸せに生きて欲しいと願うばかり……って、ああ、ようやく、この時が来たのかもしれませ

    ぐちゃぐちゃ
  • 50年生きてみると - finalventの日記

    生きているもんだという驚愕感がある。 私は20歳まで生きられないなと思っていた。ティーンエージで自殺してもなんら不思議でもなかった。ただ、50歳まで生きて見ると、そうでもない、いわく言い難いものが自分を守っていたとしか思えないものがあると思うようになった。スピリチュアルになってしまうのもどうかと思うけど、今どれほど生きづらい人でも今気がつかない大きな力のようなものをいつか感じる可能性はあると思う。 邱永漢も言っていたが、青春で無謀な人生を選んでも、身体は50歳までは生きられるがそのあたりで死ぬ。むちゃくちゃやっても50歳まで生きられるという人生もあるのだろう。下天とはそういうものなのでしょうね。信長も謙信も50歳で終わりと思って生きていたいようだし。 無謀な人生というのは、意外とテンプレで、飲む・打つ・買う、つまり酒、賭け事、女。それと加えるなら自意識過剰。 自意識過大というか自分の才能に

    50年生きてみると - finalventの日記
  • 石田晴久さん、死去 - finalventの日記

    ⇒asahi.com(朝日新聞社):ネット研究の第一人者 石田晴久さん死去  - おくやみ 石田 晴久さん(いしだ・はるひさ=サイバー大IT総合学部長、東大名誉教授・情報科学)が9日、心筋梗塞(こうそく)で死去、72歳。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男謙武(けんぶ)さん。 ⇒「 コンカレントCP/M入門 (岩波コンピュータサイエンス): 石田 晴久: 」 パソコン上で並行処理ができる。CP/M‐86とコンカレントCP/Mの使い方をプログラムと実行結果を示しながら解説し、仮想コンソールやマルチウィンドウ制御の技法を伝授。 たった、22年前か。 私も22年後にはこの世にいないのだろうな。

    石田晴久さん、死去 - finalventの日記
  • 気 づ い て し ま っ た 世 界 の ル ー ル ニコニコVIP2ch

    2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/02/22(日) 22:16:14.63 ID:+vX6NtbH0 おっぱいはそんなに柔らかいものではない 8 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/02/22(日) 22:17:36.28 ID:cQcu+OgUO >>2 は?柔らかいに決まってんだろ 12 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/02/22(日) 22:18:24.20 ID:+vX6NtbH0 >>8 可哀想なヤツw 7 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/02/22(日) 22:17:25.74 ID:NWDhboYi0 良い奴ほど損をする 10 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/02/22(日) 22:17

  • 今日、クビ同然で仕事をやめて、地元に戻ったことを、はじめて他人に話した。

    ちょっと眠れないので、ここに書かせてもらいます。 当方今年27になる男。曾祖母の代から続く店で服売ってます。ちまちまとデイトレしながら。もち自営。 今日話した、クビ同然で仕事やめたことの内容を相手は深くは追求してこなかったけど。 自分にとっては相当な恥なので、かなり冒険したつもりだ。 今はぬるま湯で生きているので、人からみたら、自分はかなりちゃらんぽらんに見られるだろう。 ヘルニアや、膝の痛みで、行事とか休んだりするので、かなり自分に甘いやつだと思われているだろうし。実際そうだし。 前職の経験から、ものすごく自分に自信がなくなっており、人とかかわることに恐怖感がある。 自分にかかわることで、相手に迷惑がかかるのではないか、相手が不幸になるのではないか、と思えて仕方がない。 他人から見たら、言い訳でしかなくただの甘えですよね。 親や祖父たちの望むように生きてあげられればよかったのだけどね。

    今日、クビ同然で仕事をやめて、地元に戻ったことを、はじめて他人に話した。
  • 『生きている意味が圧倒的にわからない』へのコメント

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    『生きている意味が圧倒的にわからない』へのコメント
  • なんか青春の終わりにあたってどうしても書いときたいので書く

    15年ほど前の話。 首都圏に住んでいてセンター試験過去問とか模試の成績は理系科目を中心に良かったけど、父親がお前の粗忽さではいずれ実験で事故を起こすといわれ文転。当時西田裕一とか富岡勝とかの仕事のせいで(もちろん当時そういう仕掛人たちのことなど知りもしなかったが)思想だとか哲学だとかが面白そうに見えた。香山リカの「自転車旅行主義」はイマーゴの連載で読んでいた。 ワープロは使っていたが、パソコンはたまにひとんちで触らせてもらう程度。 そういう狭い世界の偏りすぎたアンテナが拾い上げた情報によれば、千葉大に土屋俊先生という人がいて、なんかアメリカのCSLIとかそういうとこに行くような研究とかしているらしかった。他にも慶応の文学部でも面白いことができるらしいとか。 あげくわけあってずいぶん西の方の大学へ行って、パソ通(そしてすぐにインターネット)にはまって時間を浪費するいっぽう(聖トマス・アクィナ

    なんか青春の終わりにあたってどうしても書いときたいので書く
  • たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない

    大学院を中退して数年、初めてまともな文章の形にして、生命科学の現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生の意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。 関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、生命科学に強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。ちょうどゲノムが全部読まれたころ)、まあ実家からそこそこ近かったこともあって、京大理学部に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、生命科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに大学院に8割以上が進学する割りに、周りに統計を勉強している

    たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない
  • ある大学院時代の思い出、、、Joy of Life - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    最近は、前に書いたような状況で、昔、あるいはこれまで書いて下書き箱に入れてあるものを、ただアップしているだけなので(要は休載中)休みの日ぐらいは何か少し書いてみたいと思う。 Leica M7, 35mm Biogon F2.0 @Monument Valley 僕が日で学生をやっている頃、日でも世界規模のグラントを、ということで多分通産省の旗ふりでヒューマンフロンティア(Human Frontier Science Program: HFSP) という大きな研究グラントが出来た。ミリオン単位、億円単位のグラントというのは当時の日としては非常に例外的で、画期的なプログラムだった。で、割と立ち上げて間もない頃*1、その記念シンポジウムのようなものがあり、行った。僕はマスターの学生だった。X線解析の巨頭、Sir Aaron Klugや、当時、日のガン関連研究のリーダーであったであった西村

    ある大学院時代の思い出、、、Joy of Life - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
  • 晴れ - finalventの日記

    冬の天気になり、さてと富士山を見ると美しい。とはいえ地面にはイヌフグリが満開になり、もう土筆の季節だろうか、まだ見ていないが。夢は、ITコンサルタントの人と英語の話をしているといったものだった。ディテールがあったが忘れた。というか、けっこう夢を見ているが、覚醒後の思考の流れが強く想起できない。意識と無意識のバランスでいうと意識が強い時期になっている。というか、どうもこのところ、あまり哲学的とでもいうのかそういうことを考えない。やたらとプラクティカルにさくさくと過ごしている。が、がというのは、人生って短いなと思う。30歳のときからもう20年。そしてせいぜいあって自分の人生もあとそのくらいかと思うしさらに年を取るにつれ縮まる感はある。東京に戻ってもう6年だし。ああ、っていう感じだな。そういえばブログも5年半。なんでこんなことしているんだろう。まあ、見るべき程の事をば見つまで生きるものであろうな

    晴れ - finalventの日記
  • 誰にも相談できない

    今日誰にもいえない悩みができた。 友達にもいえない。もちろん親にもいえない。誰にもいえない。 今後十何年。何十年。心のどこかにひっかかって、絶対抜けない棘になると思う。 自業自得 わかった瞬間、膝に力が入らなくなった。 30代なってこんな感覚におそわれるなんて想像してなかった。 こうなることはわかってのか?って自分に聞きたい。 わかってたよね?お前わかってたんだろ?? うん。わかってた。 でもあくまで可能性。 可能性が現実になった。 夢ならさめればいいのに。 自業自得

    誰にも相談できない
  • 最近、生きたいと思うようになった

    最近、生きたいと思うようになった。 これまでの人生、私はあまり生きたくなかった。別に明日死んでもかまわないし、世界が消滅してもよいと思っていた。けれど、そう思いつつも自分で死ねなかった。理由は第一に、痛いことや苦しいことに対する恐怖に負けていたから。第二に、親に面倒をかけたり悲しませたりすることを避けたかったから。私の勝手で死ぬのに、私以外の人にダメージを与えたくなかった。私が死ねば、私を知っている全ての人から私の存在がすっと消えて無くなってしまえばよいと願ったが、そんな都合のよいことができるわけもなく。 こういう思考に至ったのはいじめられた経験が原因なんだろうと思う。田舎に引っ越した小学生半ばから中学生の間は、波はあれどもいじめられ続けていた。悪口とか仲間はずれとか無視とかの程度だったけれど、人間不信を植え付けるには十分だった。そんな子供に学校以外の世界を見いだせるわけもなく、そこで否定

    最近、生きたいと思うようになった
  • ホームレスの親父が死んだ

    誰かに聞いて欲しかったので長文になるかもしれないが書かせて頂く。 自分は29歳サービス業勤務。 休日が不定期なのだけど昨日は休みだったのと 大雨だった事もあり昼間からネットに張り付いていた。 一人暮らしの雨の日なんてのはこんな事しかやることがなかった。 そして退屈し始めた15時頃携帯に見知らぬ番号から着信があった。 見た事ない番号は取らない事にしてる為に無視していたのだけど そのあと16時頃、姉(既婚)から電話があった。 「警察から電話があったんだけど、○○(俺)何か心当たりない?」 というジョークから始まり勿論心当たりなど無いにも関わらず 内心ドキドキしながら 「あるわけねーじゃん(笑)」と返す。 そしたら急に真面目になった姉から帰ってきた言葉は 「心して聞いて欲しいんだけど… パパが死んだって警察から連絡があったから確認してほしいって」 親父が死んだ? あの親父が? 親父とはもう14年

    ホームレスの親父が死んだ
  • 33歳、男、SE、年収700万(残業や賞与 込み込み)、貯金100万、独身。…

    33歳、男、SE、年収700万(残業や賞与 込み込み)、貯金100万、独身。 700万あっても、飲みに行ったりするとすぐになくなってしまいます。 貯金が苦手です。 彼女はいますが、結婚は、なんだか楽しくなさそうな声を沢山聞くので、 まだ、先にしようかと思っています。 年収をこれ以上、増やすためには、もっと頑張らないといけないと思いますが、 何となくですが、ここから先は、努力と比例しなさそうです。 同級生で、400万の人もいるし、1000万円超の人もいます。 400の人は、お金欲しいって言っていますし、 1000超の人は、時間が欲しいと言っています。 努力するのは嫌いじゃありません。 でも、これ以上稼ごうと思うと、かなり大変かなと思うのです。 いや、テレビを見ていると派遣切りとか、 大変な人もいっぱいいるわけで、 幸せな方かと思います。 が、この年齢で、年収500~800万円の人って結構多く

  • 292. 人生の最後になって打ち明ける気になった秘密 | 起-動線

    引用:人生の最後になって打ち明ける気になった秘密がこれとは、おもしろいものだ。 ― ランディ・パウシュ、ジェフリー・ザスロー『最後の授業 ぼくの命があるうちに』 パウシュ氏は、アメリカの名門カーネギーメロン大学の教授です。終身在職権を得て、文字通り一生を約束されながら、ガンのために46歳の若さで「最後の講義」を行わざるを得なくなりました。講義の模様はインターネットで公開されているので、ご覧になった方も少なくないと思います。冒頭で引用したのは、その講義の後に氏が出版したの一節です。 「人生の最後になって打ち明ける気になった秘密」というのは、氏がカーネギーメロン大学に不合格だったこと。いちど不合格を通知されながら、担当教授の強い推薦と人の粘りで、入学を許されたそうです。そんなことが可能なのかと、びっくりするような話です。氏はこの逆転劇を学生にも同僚にも一度も話さなかったとのこと。最後の講義

    292. 人生の最後になって打ち明ける気になった秘密 | 起-動線
  • 女が仕事を頑張っても意味がないのか

    で一番か二番ぐらいに偏差値の高い大学を卒業して、2chの就職偏差値でも上位に位置する企業に総合職として勤めています。周りの女の子見ていると一般職でそこそこ勤めて愛する彼氏と結婚→同居している子がちらほら現れている。当方彼氏なし。仕事には自信を持っているし誇りもある。 けど、結局女の役割は結婚して子供を産むことで、仕事上の能力なんて求められていないのかなあ。結局女は性欲処理機+産む機械以外の機能は求められていなくて、その機能を着実に果たせる女性が得をするのかなあ。どんなに仕事で成功しても、愛する人と結婚できることの方がよっぽど幸福で、価値の高いことなのかなあ。結局男の機嫌をとれる美人だけが得をするように世の中できているのかなあ。 私なんでこんなに頑張っているんだろう?誰のために、何のために頑張って仕事しているんだろう?男の人の倍以上の成果あげなきゃ評価されないのに、非効率な努力していると

  • NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: いかりや浩一著「いかりや長介という生き方」を読んだ!

    中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 「オレはどうすればいいんだ」 付き人の頃末君に言う。 「少し休憩をとってください」 「(ロケの)隊は、いつ来るんだ」 ちょうど雨が降っている日だったから、 「出番はなくなりました。ロケは中止です」 そんな調子で、彼がずっと相手をしてくれた。(中略) 親父の身体に染みついた役者魂を見せつけられ、胸が詰まる思いだった。 ・ ・ ・ 最期の最期まで役者であり続けようとした男は、生と死の境でも、ロケ現場で出番を待っていた。そして、旅立ちの朝は来る。 いかりや長介、享年72歳。 ▼ いかりや浩一著「いかりや長介という生き方」を読んだ。いかりやの長男である浩一氏が記した、親父の人生記である。 ▼ 僕の子ども時代は、「8時だよ

  • 死体を発見した奴集まれ - 肉汁が溢れ出ています

    引用元:賃貸不動産板「【経験したら】死体を発見した奴集まれ【一人前】」 http://money6.2ch.net/test/read.cgi/estate/1151498866/ 1 名前:名無し不動さん[age]投稿日:2006/06/28(水) 21:47:46 ID:??? 15年働いてるが運よく一度もご対面してない。 とある後輩なんか入社1年で2回も・・・ 病死・自殺・事故死・火災 なかなか人に言えないことを ここでズバっといきましょう。 あとその部屋をどうしたとか 事後談もどうぞ。

  • 病気を持つ夫 | 恋愛・結婚 | 発言小町

    結婚して10年で30代です。子供はいません。ただ5年ほど前、夫(3歳上)が急性の病気にかかりました。普通は助からないと言われましたが、運がよく助かり一命をとりとめました。それは多分生きていてほしいと言う私の願いに夫が答えてくれたと思ってます。 ただ体と脳(記憶)にひどい後遺症が残り退院後は療養施設でずっと別生活しています。どんなにリハビリ等しても仕事や日常生活も今後一切できず、また記憶も回復はしません。つまり自分が誰であるか、どんな人生を送ってきたのかまたは私の事さえも覚えていません。(簡単な会話くらいです) 私はどんな姿になっても夫を大切に思い全てをかけて支えてきました。そのことは全く後悔はありませんし、彼の事も誇りに思っています。 人は人、とは思いますが私も普通の生活がしたいと思ってしまいます。友人からはやり直して幸せになった方がきっと夫も私の実家の家族も望んでいると言われます。 夫は

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  • 萌えた体験談 <妻からの間違いメール>

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    萌えた体験談 <妻からの間違いメール>