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人生と増田文学に関するnonsectのブックマーク (22)

  • 激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

    俺「やり残したこととかないの?」 父「ない。みんなよく育ってくれた。」 俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」 父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。 会社を定年退職後、家にこもるようになる。 死ぬ3年ほど前から、ストゼロとキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。 同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。 強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。 アイコスやウォーキングマシンをプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリをかぶっていた。 一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。 当は生きたい事は分かっていた。 けど相手の無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。 ある時から父を生かそうとすることを諦めた。 会うたびに、父に感謝の手紙を書いて読み

    激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉
  • 6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカートを履いていた。みんなは可愛いねと言ったけど私は変だと思ったから、変だねと言った。マホちゃんは怒って泣いた。 8歳のとき、父親が知らない女の人といるのを見た。私はそれを浮気だと思ったから、晩御飯のとき二人にそれを伝えたら、数カ月後、両親は離婚した。母親は一言私に、アンタのせいよとだけ言って、それ以来父親の話をしなくなった。 14歳のとき、マホちゃんが好きだと言っていた先輩に告白された。マホちゃんがあなたの事好きらしいので、と断った。それを伝えたら、マホちゃんは怒って泣いた。 16歳のとき、初めてのバイト先で品出しをしていたらパートの人からバックヤードに呼び出された。私の品出しの仕方が間違っていると話し始めた。私は慌てて商品のところに行って、直してから退勤した。それ以来パートの人から無視されるようになった。 18歳のとき、美

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..
  • 金のために祖父と寝た女

    私は守銭奴だ。出ていく金は一円でも少なく、入ってくる金は一円でも多くするために日夜ケチケチ過ごしている。 初めて貨幣を手にした瞬間から金勘定をしていたので、きっと生まれながらのいやしんぼうなのだろう。そんな私の特性をよく理解していた両親は、私に何かさせようとするときは金銭をからめた。家事をしなかったら罰金、テストでいい成績ならおこづかい増額、「一発ギャグが面白かったら100円やる」と言われたりもした。 中1の冬、いよいよ祖父がベッドから起き上がれなくなった。意識ははっきりしているが体がいうことをきかないらしい。あとどれぐらい会えるのか考えたら泣きそうになった。 祖父が起き上がれないから、その年の正月の宴会は寝室で行われた。酒が入った大人の1人が、「誰かじいさんに添い寝してやりなよ」と言い出した。じいさんも男より女のほうがいいだろう、どうせなら若い女がいいと話が進み、候補は2人のいとこと私に

    金のために祖父と寝た女
  • 葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは..

    葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは名前ではなく「レディさん」とか「スタッフさん」とか呼ばれる ご遺体のお迎えから火葬後までずっと関わっていく葬儀社と違い、私たちがご遺族と一緒にいる時間は通夜告別あわせて8時間くらいだ 開式前に初めて故人と遺族に会い、どういう方だったか最後までわからない時もある 初めて派遣された葬儀会社の、初めて会う担当者から、初めて会う遺族のことを開口一番「めんどくさい人たちです」とだけ言われる時もある もちろん勉強していたり資格を持っている人もいるけど、私たちは役所の手続きやお金、お墓についてのことをほとんど知らない わかるのは葬儀中のことだけだ 私たちは説明書だったり自動ドアだったりコート掛けだったり案内看板だったりした 真夏日でも氷点下でもスーツ1枚で外に立ち、背筋を伸ばし指先を揃え、薄い笑顔で案内した 鞄にはなんでも入っていた

    葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは..
  • 地方の大学に行ってよかった

    地方の大学に行ってよかった 正確には地元とは別のそこそこ栄えた地方(熊)にいってよかった 第二の故郷ができた 就職して東京にきて思った 東京はすごい 楽しい場所はたくさんある でも熊もすごかった 下通りのひしめき合ってる歓楽街 東京には多分新宿くらいしかこのレベルのものはない 熊は一点集中してるからここ規模になる ご飯はすごい美味しい 自分はここで第二の実家のような飲み屋を見つけた この前1年ぶりに予約の電話を入れたら名前を言った瞬間に「おお、元気してたね。東京とかにいるんだろ?生活は大丈夫か?」 って言ってくれた 第二の故郷が出来た。熊にいる友達もそんな感じで迎えてくれる。 歩いてる時も、昔友達と騒いだなぁとか、彼女と手を繋いで歩いたなあとか思い出す 青春のひとときが詰まってる 高校までは黒歴史だった。大学も友達が途中までできず、辛かった。でも、もりかえした場所でもある。 私の青

    地方の大学に行ってよかった
  • 底辺独身者40代の幸せ

    奮発して買った5,000円くらいの中華製のスマートウォッチ、歩数とかグラフで出て今日は何千歩歩いたぜとかわかって散歩にちょっとした楽しみが増えたsteamで1,000円くらいの安いローグライクのゲームかってかれこれもう300時間くらい楽しく遊べてる、コスパすごすぎPS5とかいらん通院で仕方なく早退したらめちゃくちゃきれいな夕焼けで風が少し冷たくなってきたなって心がギュってなってその日はずっとうっとりしてた最寄りのスーパーでわかめラーメンってまだあるんだって見つけて買ってべてみたらごまが入ってるって最高だなって、ごまも買ってきて色んなのにごまかけるのが楽しい枕と枕カバー変えてみたら寝る時の感覚がだいぶ変わって寝るのが楽しみになったどっちでもいいんじゃない?って思うことが増えてしんどくなくなってきたのが嬉しい

    底辺独身者40代の幸せ
    nonsect
    nonsect 2022/12/15
    よい。こういう人と暮らせたらあんがいうまくいく(※個人の感想です)/ ブコメがまたよい。
  • おばあちゃん死んでくれ

    頼むからおばあちゃん死んでくれ。 死んでくれたら、おばあちゃんの住んでた部屋が空く。 そしたらそこに私が行ける。きっとおばあちゃんより広く有効に使える。 死んでくれたら良いことしかない。 おばあちゃんが居なくなること。 それはとっても良いことだ。 おばあちゃんはアル中で酔っ払って毎日リビングにやってきて暴言を吐きにくる。 殴られたことは今までないけど、言葉で沢山殴られてきたので、とっても殴り返したい。 物理的な暴力振るわれないだけ、むっちゃ運がいい家だけど。 アル中とかって、普通それはおじいちゃんとかの役目だとか思うかもしれないけど、うちではおばあちゃんだ。 おばあちゃんの言葉の暴力で毎日お母さんは泣いていて、私が幼稚園児の頃からずっとお母さんを慰めてきた。慰めてきたって、言い方は変かもしれない。 なぜならおばあちゃんの言葉は 「孫(私)はどうして勉強も何も出来ないの?それは母親のせいじゃ

    おばあちゃん死んでくれ
  • 一人暮らし

    12月から一人暮らしを始めた。 初めの1週間は、まず生活ができるくらい日用品等を揃えることで結構疲れた。 少しすると寂しくなったので、クリスマスが終わると実家に帰りそのまま年を越した。 仕事があるので家に戻ったが、やっぱり寂しくなったのと、祖母が亡くなったことも影響しメンタルがちょっとブレたので、彼氏の家に5日間ほど入り浸った。 そして数日前、家に帰ってきた。 すると、なんだか初めて自分の一人暮らしの家が快適に思えた。自分のだけの城。自分で稼いだお金で買い揃えた物たちに囲まれて、少しだけ自分に自信が持てた気がした。大袈裟だが、この世界で生きていける気が初めてした。 フルリモートのためか、運動不足か、最近寝つきが悪いので、仕事が終わると外に出て散歩をしている。 今日は隣駅まできた。ドンキホーテでボディクリームを買い、スタバに寄った。 お姉さんが抹茶ラテにハートのラテアートをしてくれて、思わず

    一人暮らし
    nonsect
    nonsect 2022/01/15
    これは増田文学。
  • 精神障害者の俺、手切れ金としての年金、この世界への感謝

    世の中大変なことになってるなあと思いながらぼけーーーーっとネットやらテレビやら見て、好きな時にシコって飯って寝て暮らしている。 俺は障害者だ。頭の方の。もともとアスペルガーだか自閉症だか知らないが、よくわかんねえけどとにかく一回就職して、働いて、しばらく耐えて、ぶっ壊れた。 そもそも生まれたときからおかしかったんだよ。だって生後3年間意味のある言葉をひとつもしゃべらなかったっていうんだから、そりゃおかしいよな。 親も医者に相談するなりすりゃよかったのだが、自分の子供がそういう子だと認めたくなかったんだろう、心療内科の類への来院歴は全く残ってなかった。(これ障害年金請求するときに調査が入るらしいのよ。そういわれたってだけだからほんとかは知らんけど) 小学校に上がっても「変わってるね」「おかしいよ」「あいつ面白いぜ」なんつって珍獣扱いされてちょっかいかけられてたし、学校の窓を蹴って割ったりと

    精神障害者の俺、手切れ金としての年金、この世界への感謝
  • 弱者男性を救うのはお前だ中島

    弱者男性への救いとは、具体的に何か https://anond.hatelabo.jp/20210405201511 解決策は 「女をあてがう」「ドラッグ」「カネ」「平等」「風俗代」 …お前は何を言っているんだ? おれは昨日これを書いた増田だ https://anond.hatelabo.jp/20210405145048 やや露悪的なタイトルをつけたが ついたのはこんなコメントだ 「たのしそう」 「普通にいい人生」 「友だちいるやつが弱者男性なんて呼ばれてるの違和感あるよな」 わかるか? 弱者男性を救うのは何か? お前だ中島 お前が弱者男性を救うんだ お前が磯野を野球に誘うんだ 今すぐ磯野の家に行け 玄関で大声をあげろ 「磯野!野球しようぜ!」 …もちろん磯野は出てこない 当たり前だ 磯野も昔は野球が好きだった 今はなんJを見るだけだ グローブすら持っていない 中島、知っているか? 東京

    弱者男性を救うのはお前だ中島
  • いつも挨拶してくれたマクドナルドの店員さんが辞めたっぽい

    33歳=彼女いない歴 子供の頃からマクドナルドのポテトと雰囲気が好きで、大人になってからは好きな時に行けるぜと近所の店舗に通い続けた。最近はハンバーガーの種類も多く飽きまい。 マクドナルドの店員さんは基的に愛想が良いが、特に笑顔が素敵なスタッフの方がいた。俺より少し下ぐらいの女性で、とにかく受け答えの感じが良かった。 最初はそれぐらいの感じだったんだが、ある日注文の時に「お決まりでしたらお伺いします」ではなく「今日は何のセットにしますか?」とちょっとラフな感じで聞かれた。 よく店員に認知されたら行きづらくなる派がいて、俺もどっちかというとそうなんだけどこれは完全に惚れてまうやろだった。 そこからさらに「セットはポテトで良いですよね?」だ。微笑む感じが素敵すぎて惚れた。 その日からはマクドナルドに行く頻度が増えた。髪とかセットする様になった。 清潔感のあるファッションをネットで調べて白いシ

    いつも挨拶してくれたマクドナルドの店員さんが辞めたっぽい
  • 同棲を解消したら同棲を解消しなかった未来が見えた

    2年に渡る同棲を日曜日で解消するんだよな。 2年って結構長くて、お互い結婚を意識してたこともあって、 家具を買う時は、「長く使えるものを買う」っていうのがおれたちの決まりだったと思う。 クイーンベッドからダイニングテーブルソファセット、タンスやラック。 色んなものを買ったんだよな。 そんで明後日同棲を解消するわけだが、互いに新居に引っ越すわけで、 それに合わせてこれらの家具をどうにか処分しなきゃいけない。 粗大ゴミとして出そうと思うと、収集日が1ヶ月先とかで、引っ越しのスケジュールから考えると間に合わないし、 友人に譲ろうにも、こんなデカい家具は要らないわけで、引き取り手も見つからない。 結局メルカリ頼みになるわけだな。 で、この2週間、メルカリを使ってみたわけ。 そしたら思ったより売れる。 メルカリには直接受け取りっていうオプションがあって、購入者に直接取りに来てもらえば送料がかからない

    同棲を解消したら同棲を解消しなかった未来が見えた
  • 昏い雪国

    朝起きると、障子の隙間から雪が舞っていた。またお前か。もうお前の顔は見たくない。叱りつける様に、障子をピシャリと閉めたい衝動に駆られるが、布団から抜け出す気力がない。 そうはいっても、仕事である。雪に備えて、目覚ましはだいぶ早くにセットしてある。布団から出て、長を履いて、車に積もった雪を落としにいく。道路が混むから、早くに家を出ないといけない。気忙しく身支度を整える。屈とした心情とは裏腹に、自分の行動は手馴れ、随分と雪国に調教されたものである。そんな自分に、どこかで嫌気が差す。 車を走らせながら、私は、1月前半の大雪と、その時に出会ったある女のことを思い返していた。 1月の3連休は、ひたすら雪をかいた。前半は家の周りの雪かき、そして後半は除雪のための休日出勤である。集中除雪を行うため、対象の道路を一時通行止めにする。信号や曲がり角に人が立ち、入ってこようとする車を迂回させる。そういった

    昏い雪国
  • コロナ禍の中無職になった奴の叫び

    金がない。 コロナのせいではないが、運悪くこのタイミングで無職となった。 ハローワークへ行く。「ハロワの求人にロクなもんはない」と分かっていても、行かねばならぬ。 あの空間には慣れたものだが、あの新型の感染症が流行してからは更に悲壮感の漂う施設だ。 秋の冷たい風が吹く。 周りのオフィスビルには毛玉一つないニットやシワひとつないスーツに身を包んだ男女が吸い込まれて行く。 しかしこのハローワークに足を踏み入れるのは、私のように毛玉だらけのセーターを着た小汚いやつばかりである。 もちろん綺麗な服を着た人もいるが、だいたいは私と似たようなもんだ。 「今日の新着求人」が貼り出されたボードに群がる人々。 誰一人言葉を発することもなく、貼り出された求人票を眺めている。 私もその中に入らせていただき、今日のNEW案件をチェックする。 洗い場、950円、初心者歓迎、正社員登用実績あり、各種保険完備… さて、

    コロナ禍の中無職になった奴の叫び
  • 旅が終わる気がする

    私の故郷はとても寒い場所にあって、そこで大人になるまで暮らしていました。 事情があって町を出てから初めて、あぁ、私はここから当に離れたかったのだなと気がつきました。 一人暮らしを始めた日は大雨警報が出ていて、ラジオからは空港で足止めになった人がインタビューを受ける声が聞こえました。 これから暮らす知らない街は嫌がらせのように道が入り組んでいて、番地の順番はひどく不規則でした。土砂降りの中、散々迷ってほうほうのていでアパートに辿り着いたとき、私は全身ずぶ濡れで、まるで服のままシャワーを浴びたかのようでした。 電気がまだ通っていなかったので部屋の中は真っ暗でした。ドアを開けると、安くて古い家特有の匂いがして、一歩進むごとに床がぎしぎし鳴りました。アパートの廊下の灯りに照らされて、自分だけの部屋に一人佇む私のシルエットが浮かぶのが見えました。 それを見た瞬間、お腹の底からわーっと力強いエネルギ

    旅が終わる気がする
    nonsect
    nonsect 2020/07/01
    これはよいものだ。
  • 俺にもまだ人間の心が残っていた [追記あり]

    昨年4月、うつ病を発症した。 某大手電機メーカーの孫会社のアフターサービス部門に転職して2年目だった俺は、 常に月100時間程度の残業をしていて、ちょっときついなぁと言う感じは自分でも分かっていた。 お客様先の都合により早朝からの勤務や夜間待機も有り、一日の大半の時間は社用車の運転に費やされる。 一日中自社のコールセンターから社用携帯に指示が飛んできて、基的にはその日の内に指示を処理しなければならない。 部材の入荷状況や指示の処理具合によっては翌日以降に持ち越す事も出来るが、持ち越した日が苦しくなるだけだ。 諸先輩方も同様な労働形態で十数年やってきたと言われていたので、 今は苦しいが自分もいつか慣れる事が出来るだろうと漠然と考えていたが甘かった。 その日は突然やってきたのである。 朝、起きれなくなって会社に行けなくなってしまった。 幸いなことに、翌日には心療内科の予約が取れてうつ病で有る

    俺にもまだ人間の心が残っていた [追記あり]
  • 参考として5年前に結婚相談所経由で結婚できた我が家を見てみよう

    当方 (当時) 35歳 デブ 年収600万 情報技術者相手 (当時) 35歳 ガリ 年収550万 公務員 オタクとしてステレオタイプにイメージされやすいパソコンへメチャクチャ強く、漫画アニメゲームが大好きで、それがこうじて同人ゲームを作っちゃうような俺は日々充実したオタクライフを送っていた。 結婚なんて縁がないものと中学生の時点で既に気付いていたので、ドールを理想的な容姿にして愛でていた。ドールへ自分好みのミニスカ履かせようがホットパンツ履かせようが誰にも迷惑かけじゃん? そんなある日、子供部屋おじさんだった俺は親から呼び出され突然2万5千円を請求された。 「毎月6万円収めてるのに金ないのか?香典がかさんだ?」 「結婚相談所の入会金の半分だよ。お前もそろそろ結婚考えろ」 「いやいやいや待て待て待て。なにしてくれちゃってんの?どうして勝手にやって折半しようとしてんの?」 勝手に結婚相談所へ入

    参考として5年前に結婚相談所経由で結婚できた我が家を見てみよう
    nonsect
    nonsect 2020/04/12
    めっちゃおもろい。
  • 在宅勤務が始まり、いまが人生で1番幸せな春

    零細企業の社員。昼は公園で弁当派。 職場を転々としているから春は毎年違う公園で桜を見る。 去年は池袋で桜を眺め、来年の自分はどこにいるか考えながら、ぼんやり米をほうばっていた。 それがまさか在宅勤務になって、マンションの桜を見ながら弁当をべてるとは思わなかった。 マンションの桜はいつも子供が遊んでいる広場に咲いていてやや近寄り難く、いつも気がついたら散っている存在だった。 在宅勤務の昼休憩は12時からと決まっている。チャットで休憩に入りますと伝えるのもルール。 いつもの弁当箱じゃなくて、洗いやすいタッパーに米と昨日の残りの春巻きと卵焼きだけつめて階段を降りると、マンションの広場にはそこそこ人がいた。みんなそれなりの距離を保っている。 同年代の夫婦はシートを敷いてお弁当を広げ、老夫婦はベンチに座ってパンをべて、子供と母親はサッカーをしていた。 のどかだった。牧歌的という言葉が頭をよぎっ

    在宅勤務が始まり、いまが人生で1番幸せな春
  • イケメンの姉

    姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン。性格は姉妹で正反対。私は人見知りで、基的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝の気持ちを綴りたい。 まずは小学校の入学式のこと。 うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。 そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色の翡翠の指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。 姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私は

    イケメンの姉
  • 自走式彼女

    俺の嫁さんは自分で走る。特にプログラムされずとも、自分で考えて走る。 出会いは俺が二十八の時。働いている会社は新卒採用が全くなく、若いのが入らないので代謝が悪かった。その会社にしては珍しく新卒入社だった俺は、六年経てど部下はおろか後輩すらできず、ずっと続く「若手扱い」に辟易してた。そんなある日、自主退職者の補填として彼女が来た。当時二十七歳。見た目も少し近いが、雰囲気はシン・ゴジラに出てきた市川実日子まんま。会社が外資系だったこともあり、人事も面白みがないよりは風変わりな人材を好む傾向があったため、第一印象は「まためんどくさそうなのが…」という感じだった。 彼女は必要以上に人と馴れ合わないけれど、飲み会は割と顔を出す(ただし質問されない限り会話はせず、淡々と飲んでる)し、仕事は完璧なもんだから、一年たつ頃には「ちょっと変わったミステリアスな人」みたいなキャラで定着し、重宝される人になってい

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