(CNN) 世界の子どもの半分以上は、紛争や貧困、あるいは女性に対する差別の危険にさらされている――。国際援助団体セーブ・ザ・チルドレンは、6月1日の「世界子どもの日」に合わせて発表した報告書で、そんな実態を明らかにした。 報告書によると、紛争、貧困、女性に対する差別の危険にさらされている子どもは推定12億人。そのうち1億5300万人は、この3つのリスク全てに脅かされている。 報告書では、「世界の子どもの半分以上は、女の子であるという理由で、貧しいという理由で、あるいは紛争地帯で育ったことによって、最初から人生が阻害されている」と指摘。人生を一変させ、子ども時代を奪いかねない出来事の一例として、早すぎる結婚、児童労働、栄養不良を挙げた。 子どもが死亡、栄養不良、教育の欠如、強制結婚、出産、労働などに直面している割合を国ごとに比較したランキングによると、子どもが守られている国の筆頭はシンガポ
「中国の侵略と琉球独立が進行中。地元新聞マスコミを含む左翼活動グループが主体です」「沖縄県の反戦平和運動はほとんどが偽物で、革命運動をカムフラージュするものです」 月曜午後の生放送「沖縄防衛情報局」では、冒頭からこんな言葉が語られる。 出演するのは「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会(正す会)」メンバーら。オキラジから週1回1時間の枠を買って放送。番組内では地元紙の記事を読み、批判する。 コミュニティーFMの放送範囲は市町村単位。オキラジの運営は社員1人とアルバイト3人だ。内容は音楽情報が多い。 情報局は2016年に沖縄県宜野湾市のコミュニティーFM局で始まり、県内の那覇市や浦添市、本部(もとぶ)町・伊江村に広がった。オキラジでは昨年始まった。社員の石川丈(たけし)さん(37)は「他局から紹介され、内容はその後に知った」と言う。 コミュニティーFMは「政治的に公平であること」「事実
◆著者・中村江里(なかむら・えり)さん (吉川弘文館・4968円) 闇に埋もれた「傷」掘り起こす 第二次世界大戦では、推計で日本人310万人が死んだ。命は取り留めたものの心に傷を負った人も相当数に上るはずだ。しかしその傷、病のありように光を当てる体系的な研究はなかった。本書は、歴史学研究に新たな画期をしるす労作だ。 最初に兵士の心の傷に関心を持ったのは高校生のころ。リポートでベトナム戦争について調べた。「そのとき見た写真集で、(米軍の)兵士の側も心に傷をのこすんだなあ」と印象に残った。折しも従軍慰安婦など「戦争が人間に及ぼす長期的な影響にぼんやり関心を持っていました」。上智大学に進み西洋史を学ぶ中、アウシュビッツの生還者が抱えていた傷を知った。阪神淡路大震災の影響もあって、日本でもトラウマに関する研究に注目…
ユニセフ 2018年の人道支援計画発表、人道危機下の子ども4,800万人を支援へ【プレスリリース】 対象51カ国、総額36億米ドルを要請 子どもたちのための人道支援報告書(Humanitarian Action for Children – HAC) 2018』※ダウンロードリンクは、本文下に記載しています。 【2018年1月30日 ニューヨーク/ジュネーブ発】 ユニセフ(国連児童基金)は本日、世界51カ国で紛争や自然災害などの人道危機の中で暮らす4,800万人の子どもたちの命を守るための2018年の人道支援計画を盛り込んだ、『子どもたちのための人道支援報告書(Humanitarian Action for Children-HAC)2018年』を発表し、36億米ドルの資金が必要と訴えました。 世界中で発生している暴力的な紛争の影響により、人道支援の必要性が危機的なレベルにまで高まっており
コンゴ民主共和国・カサイ地域 教育の機会を奪われ、徴兵される子どもたち 子どもへの虐待行為は正当化できない ユニセフ西部・中部アフリカ地域 事務所代表声明 【2017年8月7日 ダカール(セネガル)/ニューヨーク発】 ユニセフ(国連児童基金)西部・中部アフリカ地域事務所代表のマリー・ピエール・ポワリエは、コンゴ民主共和国のカサイ地域で子どもたちが置かれている現状について、以下の声明を発表しました。 世界は、カサイ地域で子どもたちとその家族に起きている悲惨な状況から目をそらしてはなりません。この12カ月の間に、子ども85万人を含む140万人が、家を離れることを余儀なくされ、蔓延する著しく暴力的な行為により生活を滅茶苦茶にされました。 子どもたちと女性たちは、彼らが受けた残酷な虐待行為について話してくれました。子どもたちの多くは武装勢力に徴用・徴兵され、麻薬漬けにされ、暴力の中に巻き込まれま
□ 原子爆弾(げんしばくだん)が投下(とうか)される前(まえ)の広島(ひろしま)には、美(うつく)しい自然(しぜん)がありました。 大好(だいす)きな人(ひと)の優(やさ)しい笑顔(えがお)、温(ぬく)もりがありました。 一緒(いっしょ)に創(つく)るはずだった未来(みらい)がありました。 広島(ひろしま)には、当(あ)たり前(まえ)の日常(にちじょう)があったのです。 昭和(しょうわ)20年(ねん)(1945年(ねん))8月(がつ)6日午前(むいかごぜん)8時(じ)15分(ふん)、広島(ひろしま)の街(まち)は、焼(や)け野原(のはら)となりました。 広島(ひろしま)の街(まち)を失(うしな)ったのです。 多(おお)くの命(いのち)、多(おお)くの夢(ゆめ)を失(うしな)ったのです。 当時小学生(とうじしょうがくせい)だった語(かた)り部(べ)の方(かた)は、「亡(な)くなった母(はは)
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