偉い人と偉そうな人の違いは、社会的な事実の問題である。昭和天皇は本物だが、熊沢天皇はニセモノである。究極的に本物の天皇とはなんぞやと言うと難しく、おそらく根拠はないであろうから、われわれが立脚している社会的事実や歴史的事実の問題だと言うしかない。事実は人類が共有している情報でしかないから、宇宙の真理ではないし、天皇であろうがローマ法皇であろうが、究極的な根拠は見いだせない。むしろ根無し草である人類が割り当てた人為的な記号というところに文化的に意味があるのだろうし、皇位継承の争いや、朝敵という符号も含めて、社会という骨格における力や整合性や秩序である。時として「偉い人」と「偉そうな人」の区別が付かなくなるのは、やはりこの区別が社会的事実によるものだからだろうし、たとえば医者でさえも「偉い」のか「偉そう」なのかわからないわけである。このところ患者の方が偉そうにするようになったのも、ひとつの革命