イチロー氏 「指導する側が厳しくできない」時代の流れ 「酷だけれど…自分たちで厳しくするしか」
新入生の皆さん、そしてご家族、ご親族の皆さま、おめでとうございます。 私自身も東大の卒業生ですので、入学時の受験戦争からの解放感、新しい学生生活を始めるわくわく感は、今もよく覚えています。 長い受験勉強が終わって、ついに自由。たくさん遊んで、恋人作って、ガンガンやっていいと思います。 同時に、大学の4年間は、「自分で創り、自分で切り拓く、自分の人生」のスタート地点です。そしてこれからの皆さんの人生の中で、一番自由に、自分の器を広げ、自分の夢を探して突き進める時期でもあります。 私は東大卒業後、発展途上国を日本の立場から支援する国際協力機構JICA、民間の経営コンサルティング会社のマッキンゼーの日本オフィスと南アフリカオフィス、世界銀行、それからビル・ゲイツがマイクロソフトを辞めて、途上国の保健医療の問題を解決するために作ったゲイツ財団で、世界の貧困や感染症に立ち向かう仕事をやってきました。
「小学校3年生から中学まで、ひどいいじめを受けていました」 6月10日、常葉大附属橘中学校・高校(静岡県静岡市)で開かれた講演会でこう語ったのは、人気お笑いトリオ「ジャングルポケット」の斉藤慎二さん(39)だ。 <ジャングルポケット・斉藤慎二さん> 「自分がクラスの中で一番背が小さいというだけで、『チビだ』とか、『死ね』だとか、『生きている価値がない』と言われるようになりました」 「ひどいときには、後ろの生徒から背中を彫刻刀で刺された。血が止まらなかったんですけど、いじめられていることは、親には内緒にしておこうという変な正義感があった」 斉藤さんの母親は教師。家でもテストの採点などで忙しくしている姿を見て、「負担をかけるのは申し訳ない」と、いじめのことを話せなかったという。 ある児童の誕生日会では、クラスの中で自分1人だけ呼ばれなかった。涙が止まらなかった。 先生に相談すると、「それは斉藤
自閉症の子どもは津軽弁を話さない。そんな妻の一言をきっかけに、心理学者の松本敏治氏はことばと心の謎の解明に乗り出した。松本氏は「最初は軽い気持ちで調べていたが、本にまとめるまで十数年がかかった。現場の人々の経験や感覚に目を向けることの大切さを痛感した」という――。 【この記事の画像を見る】 ■「ことばと心の謎」に迫る研究のきっかけ ある日、町の乳幼児健診から帰ってきた心理士の妻が、ビールを飲みながら「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」と言ってきました。 障害児心理を研究する私は、「それは自閉症(自閉スペクトラム症:ASD)の独特の話し方のせいだよ」と初めは静かに説明してやりました。しかし妻は、話し方とかではなく方言を話さないのだと譲りません。 やり取りするうちに喧嘩になり2、3日は口を利いてくれませんでした。こちらも長年、その道の研究職であるつもりでしたから、たと
ひくい道 そこを歩くよ わたしたち 高い土手の向こう 見たことなくても ここは退屈迎えに来て 作者: 山内マリコ出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2012/08/24メディア: 単行本購入: 9人 クリック: 100回この商品を含むブログ (50件) を見る コメントで教えてもらったこの本、買った。 表紙がすごい好き。 最近のいろんなお店で起こるおバカな事件とネットの炎上のことで、いろいろ記事読んだ。 「低学歴の世界」って言葉が一番心に残った。 この言葉みた時、自分の居場所ってすとんとわかった気がした。 私はその世界にいるから。 はてなの中で感じてたなんかの違和感って、私ははてなの空気と違う「低学歴の世界」の人間だからなんだ、って思った。 私もそうだけど、私の友達もだいたい「低学歴の世界」の人間。 高校卒業してない子もいるし、義務教育の時だってまともに学校に行ってない人もいる。 私も学校
「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉) Posted on 2013年8月12日. Filed under: ボランティア | タグ: 防災, 東日本大震災 | 東日本大震災に関するテレビ番組はよく観るけど、録画リストを消化中に強く惹きこまれたのがこの番組だった。 「釜石の奇跡 片田敏孝先生のいのちを守る特別授業 第三回 私たちがふるさとを守る」:NHK シンサイミライ学校 岩手県釜石市で津波防災教育に約10年に渡って取り組み、2011年3月11日に起こった東日本大震災では小中学生の生存率が99%という“釜石の奇跡”を生んだ片田敏孝教授。 番組は、彼が和歌山県田辺市のある中学校を訪れ、座学や地域での実践、釜石への訪問などを通して津波防災を生徒たちに体得させていくという構成だ。震災当時に
ベースが国語教師だからか、私は数学や理科の指導でも「言葉にする」 ことにかなりこだわる。 勉強ができる・できない、成績がよい・悪いは、小中学生のうちはほとんどが「思考の深度」で決まると思う。同じ問題を解き、解説を聞き、やり直し、それでも成績に大きな差が出るのはなぜか。それは解くとき、聞くとき、やり直すときの「頭の使い方、考えの深さ」が違うからだ。 成績が中々伸びない生徒というのは、我々基準から見ると「考えているふり」でしかないことがよくある。いや、彼ら・彼女らなりに一所懸命やっているのだ。でも、その「考える」は非常に浅いレベルでしかない。「考えているカンジ」「分かったカンジ」で勉強をこなしている(繰り返すが皆一所懸命なのは分かっている)。 私は、そうした思考の深度を左右するのは言語化の力だと思っている。問題の解答プロセスを、設問意図の理解を、言語化という形で表現できること。これが小中学生に
先日電車内でのこと。とある親子が乗ってました。子供はまだ幼稚園ぐらいですかね。おかあさんのスカートをずーっと握ってまして…まぁ甘えたい年頃なんだなぁと思いつつ最初は注意を払ってなかったんですよね。 そしたらまぁ何が原因かよくわからないんですが子供が大声で泣き出した。スマホの画面から目を離して見てみると、結構なガチ泣き。もうわんわん泣いてて見ているこっちがどうしたんだ何があったんだと子供に聞きたいぐらい。知らない子じゃなければ背中さすってなだめてるところです。 車内は子供の泣き声でいっぱいに。とはいえあのぐらいの子供はまぁ泣くものです。乗ってる客もそうイラだった雰囲気はなく。そのうち収まるかな…うーんしかし何が原因で泣いてるんだろう?なんて思ってましたが、これがまた一向に泣きやまない。
立教大学の歴史は、米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズが1874年に創立した「立教学校」から始まります。キリスト教が厳しく弾圧されていた時代に聖書と英学を教える私塾を開くのは、計り知れない苦闘があったことでしょう。それでもウィリアムズは教え伝えること自体が自分の使命だと確信し、需要のない中でも教育を行う道を選択しました。145年以上を経た現在においても、その姿勢は失われていません。立教大学は世間のニーズに応える形で教育を展開するのではなく、「普遍的真理を探究し、この世界や社会のために働く者を生み育てる」というミッションのもと、人類が築き上げてきた知の体系とそれらを社会に還元していく力をもつ人を育む場として存在しているのです。 本学の教育方針の基軸であるリベラルアーツは、単なる教養教育などではありません。人類が長い歴史の中で探究してきたいまだ到達し得ない理想——それを追い続ける
目に留まったコラムがあったので急ぎ訳してみた。かなり意訳しているので英語を読まれる方は原文にあたられたい。 「一人一人が自律した社会を手にするための唯一の道(としての教育)」 (It is the only way to have an empowered society) 寄稿者―ヌズハト・フサイン(著者はナショナル・ブック・トラストのディレクター) 私の曾祖母はおそらく教育を受けていません。彼女には四人の娘がいましたが、息子はみな早くに世を去り、土地も一切ありませんでした。当時は、土地と息子を「社会的な安全の担保(social security)」とみなす固定観念が世間に広まっていましたから、曾祖母夫婦としては、それがないのを気にしていたに違いありません。彼女が確固とした先見の明を持っていた人なのか、それとも深い絶望から決意を固めたのか、私にはよくわかりません。でも彼女は娘を学校に通わ
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