フランス・パリの同時多発テロを受け、フランスの作家で映画監督のジョアン・スファールが、Instagramにメッセージを投稿した。 スファールは、2015年1月に武装集団に襲撃された風刺週刊誌「シャルリー・エブド」にも執筆していた。世界中からの哀悼のメッセージに感謝を表しつつ、「もうこれ以上宗教はいらない。僕らが信じるのは音楽! キス! 人生! シャンパン! そして喜び!」と、日常を取り戻す大事さを訴えた。
●そもそも、この決定なるもの、「ブルカ」の着用だけを禁止する規定なのだろうか。中国語原文には「乌鲁木齐市公共场所禁止穿戴蒙面罩袍的规定」とあるだけだ。 直訳すれば、「ウルムチ市内の公共施設内で覆面の上っ張りを着用することを禁止する規定」である。要するに、「人間の顔を覆うようなものを着てはならない」ということなのだろう。 ●これなら「ブルカ」の着用は間違いなく禁止だ。狭義の「ブルカ」とはアフガニスタンやパキスタン北部などで見られる女性用の民族衣装を指し、目の部分も網状になっており、女性の顔が完全に隠れるからだ。 「ブルカ」はイスラム系の女性用着衣の中でも最も顔を隠す程度が高く、外からは瞳や眼差しすら見えない。一種の完全防護服といってもいいだろう。 ●次に顔が見えないのは「二カブ」だ。多くの場合、「ニカブ」は1枚または2枚の黒い布で目以外の顔を隠す衣服を指し、筆者の知る限り、湾岸アラブ諸国で多
自主規制する日本のメディア 日本は、どうなのだろうか。2014年には、『美味しんぼ』(原作・雁屋哲、作画・花咲アキラ)の描写が問題になった。登場人物が福島第一原発の取材に行った際に、原因不明の鼻血を出す場面などが描かれたことに対して、読者から「風評被害を助長する」といった批判が出て、舞台となった福島県双葉町が出版社に抗議する事態になったのだ。出版社は、連載を続けるとともに、「ご批判、お怒りは真摯に受け止めて、表現のあり方を今一度見直していく」といった釈明を雑誌に掲載した。 「原発問題でも、海外からたくさんの風刺漫画が送られてきましたが、奇形とか甲状腺ガンとか、それこそ『住民感情を損ねる』ようなものもありました。日本のメディアで掲載するのは無理でしょうね」と、山井さんは言う。 山井さん自身、今回の原発事故が起きる前に、新聞の4コマ漫画で、サンタクロースが原発の煙突から入ろうとする絵を描いたと
今回の事件では、4人の漫画家が殺され、山井さんはそのうち3人の漫画家とは知り合いだったという。「彼らの漫画はいつも過激でした。編集部への放火事件だけではなく、いろいろな脅しも受けていたと思いますが、ひるまなかったですね。本当に強い人たちでした」と言う。 欧州の風刺漫画は「ヤワじゃない」 事件のあと、世界各地の漫画家から山井さんに、亡くなった漫画家たちへの哀悼のメッセージとともに自分たちの漫画がメールで送られてきているという。事件後2日間で50通を超え、いまも続いているそうだ。パソコンに取り込んだそれらの画像を見せてもらったが、どの絵にもテロには屈しないというメッセージが込められているように思えた。 そのなかに、天国に上っていく漫画家たちが「これで俺たちも処女を抱けるな」と、笑っている漫画があった。事件の発端となったあの12枚の漫画のなかに、天国に上ってきた自爆テロリストに対して、ムハンマド
フランスの週刊新聞社が襲われたテロ事件は、「表現の自由」を保障する民主主義社会への攻撃であり、風刺漫画に自動小銃で報復することを「神の使命」と考えるイスラム過激派の異質さを世界に示している。しかし、表現の自由、言論の自由が脅かされているのは、パリに限ったことではない。イスラム過激派の異質ぶりを強調すれば、自分たちの社会の健全性が保障されるというものではない。「表現の自由」とは何か、雪の舞う青森県弘前市に国際政治漫画家の山井教雄さん(67)を訪ね、意見を聞いた。 きっかけは2005年の「ムハンマド風刺漫画事件」 襲撃された週刊新聞「シャルリエブド」を手に持って現れた山井さんに、事件の感想を尋ねると、「驚くよりも、ついに起きたか」と思ったという。シャルリ紙は、イスラム過激派も厳しく風刺し、彼らの犯行と見られる編集部への放火事件も起きていたからだ。そのきっかけは、2005年に起きた「ムハンマド風
フランスの新聞社が、襲撃事件のあと初めて発行した新聞で、イスラム教の預言者の風刺画を掲載したことに対し、アフリカの国々でも抗議のデモが行われ、死者が出る事態となるなど混乱が拡大しています。 北アフリカのアルジェリアの首都アルジェで16日、襲撃を受けたフランスの新聞社「シャルリ・エブド」がイスラム教の預言者ムハンマドを描いた風刺画を掲載したことに抗議して、イスラム教徒の住民ら数千人がデモを行いました。 デモの参加者たちは、アラビア語やフランス語で「私はムハンマド」とか「預言者を愛する」などと書かれた紙を持って、大きな声を上げて抗議しました。 そのあと、警備に当たっていた警察官との間でもみ合いとなり、デモの参加者の一部が石を投げるなど暴徒化し、警察が放水車を使って混乱の収拾を図る事態となりました。 また西アフリカのニジェールでも16日、抗議のデモが拡大し、現地からの報道によりますと、キリスト教
「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日本のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日本の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。 1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最
14日に発行される週刊新聞「シャルリー・エブド」特別号の表紙を描いた風刺漫画家レナルド・ルジエさん(43)が13日、パリ市内で記者会見を開いた。ルジエさんは「私たちは表現したいものを表現しているだけだ」と訴えた。 数多くの同僚が殺害されただけに、憔悴(しょうすい)した様子で、時折大きく息をつきながら話し続けた。ルジエさんは「表現の自由は、表現の自由だ。『自由だ。だけれど……』なんて留保をつける必要はない」と語った。「我々は報道の自由のためではなく、自分の考えを表現するために描く。『シャルリーは挑発的だ。時にうそつきだ』という人がいる。でもそれは、やっぱり表現の自由なんだ」と強調した。 特別号の表紙は、「すべては許される」という見出しがつけられている。そこに、目から涙粒をこぼしながら、悲しそうな表情の預言者ムハンマドが、白い衣装をまとい、胸の前で連続テロに抗議する合言葉「私はシャルリー」が書
シャルリー・エブド襲撃事件で、フランスは腕利きの風刺画家を一度に失った。12人の犠牲者のうち5人が、編集部に居合わせた漫画家たちだった。 80歳で銃弾に倒れたジョルジュ・ウォリンスキ氏は、同紙の創設にも関わった代表的な描き手だった。1968年、反体制派がカルチエラタンの学生街を占拠した際には、彼らを「過激派」と非難したドゴール大統領に向けて「過激派」という新聞を創刊、痛烈な政権批判を展開したことで知られる。 愛敬ある丸眼鏡で知られたジャン・カブ氏(76)は14歳の時から60年以上の画歴を誇るが、ウォリンスキ氏と同様「永遠の童心」を持つとされてきた。20代でアルジェリア独立戦争に出征した経験から平和主義者に転じ、過度の愛国主義や女性蔑視への皮肉を得意とした。あらゆる権威に加えて「平均的なフランス人」をも笑い飛ばしたが、根っこにはいつも弱者への優しさがあったという。 2009年から発行人を務め
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