ブリュッセルは「近代都市でおかしくなりかねないすべてのものの象徴だ」とトニー・ジャット氏は書いた。今は亡き歴史学者は1999年にこの一文を著した時、大半の欧州連合(EU)機関の本拠地になっているベルギーの首都の大部分に道路工事とコンクリートの見苦しい光景と欧州最悪の交通渋滞をもたらした、市民生活の軽視に言及していた。 だが、彼の言葉は、ブリュッセルをはじめとしたベルギーのいくつかの都市に、ジハード(聖戦)のイデオロギーの培養器、そして法執行能力の欠如の見本という悲惨な評判を与えた一連のテロリストの陰謀と襲撃にも全く同じように当てはまるだろう。 ベルギーは主に機能不全の政治のせいで、ずっと欧州の冗談の的になってきた。2010~11年には、ブリュッセル郊外のフラマン語圏の人々の権利を巡る論争によって、政権樹立が589日間妨げられた。これは世界記録である。 だが、テロの脅威は、まとまりのない治安