世の中 ベルギーのイスラム過激派のルーツ 安価な労働力を望み、文化的な影響に備えなかったツケ | JBpress(日本ビジネスプレス)
爆発が起きたブリュッセル市内のマルビーク地下鉄駅周辺で警戒に当たる兵士(2016年3月22日撮影)。(c)AFP/Cédric SIMON〔 AFPBB News 〕 ベルギーの首都ブリュッセル。欧州連合(EU)の本部が置かれた地区の一角に地下鉄のマルベーク駅はある。3月22日火曜日にはそこで列車が爆破され、イスラム過激派組織ISIS(イラク・シリアのイスラム国)が犯行声明を出した。 同じ地区の別の一角には静かな公園があり、その片隅にブリュッセルの大モスクが建っている。そしてその中には、サウジアラビアが支援しているベルギー・イスラム文化センターがある。 つまり、ベルギー当局が昨年、イスラム過激派の拡散との関連を示唆した文化施設と、テロ攻撃の現場との中間辺りで、28カ国が加盟するEUは業務を行っていることになる。これは現代の都市における施設の配置と欧州の歴史との不幸な衝突だ。 重要なことなの
ほかの欧州諸国と同様に、ベルギーの問題はモスクで行われる激しい調子の説教というよりも、むしろ中東や北アフリカで行われている紛争が人を急進的にする効果、インターネットで伝えられる狂信的行為の誘惑、イスラム教徒の共同体が社会全体に融合していないこと、そして警察や治安当局の不適切な対応の方にある。 ブリュッセル市内の、北アフリカからの移民が数多く住んでいるモレンベーク地区は、パリのテロ攻撃の後に聖戦士の聖域として世界的に知られるようになったが、ここはそれよりもずっと前からトラブルの温床になっていた。 恐らく、22日の爆破事件のようなことは欧州のどの都市でも、いつでも起こりうる。しかし、過激派がモレンベーク地区で数多く育っているのは、ベルギーの高度に分権化された政治システム、幾重にも積み重ねられた行政機構、そして市民の自由を重んじてあれこれ口をはさまない国家的伝統のためだ。 連邦政府の治安当局は予
今度選ばれる専門家会議はイランの最高指導者ハメネイ師(写真)の後継者を選ぶ可能性があるだけに、重要な意味を持っている〔 AFPBB News 〕 イランの聖地コムの聖職者たちは、今週実施される重要な選挙を前に、超然とした態度を保とうとしている。ターバンを巻いた男性数万人が宗教を学ぶ世界最大のシーア派神学校があるこの都市では、街中の看板は最先端の携帯技術や新しいデビットカード、冬のショッピングセール、美容外科などを宣伝している。選挙運動の横断幕は稀にしか見られない。 イランでは26日に国会議員選挙(定数290)と専門家会議選挙(定数88)の投票が行われる。 専門家会議は高位の聖職者で構成される機関で、イランの次の最高指導者を決定する権限を持つ。 しかし、この会議の選挙については、立候補予定者にイスラム教と政治の資質があるかどうかを審査する護憲評議会で、保守強硬派のメンバーが改革派の立候補予定
仏パリのレピュブリック広場で、同市内で発生した連続襲撃事件の犠牲者を追悼するために置かれた花やメッセージ〔AFPBB News〕 国際政治では「文明の衝突」が最も目立つようになるだろうと故サミュエル・ハンチントンは予言した。1993年に最初に打ち出されたこの理論は熱烈な支持者を獲得してきたが、その中には好戦的なイスラム主義者も含まれている。パリで大量殺人の挙に出たテロリストらは、イスラムと西側諸国は避けられない死闘を繰り広げていると考える勢力の一派だ。 これとは対照的に、西側諸国の政治指導者たちはほぼ決まって、ハンチントンの分析を退けてきた。 米国のジョージ・W・ブッシュ前大統領でさえ、「文明の衝突など存在しない」と言い切った。 西側諸国の多文化社会――その大半で、イスラム教徒は大規模なマイノリティー(少数派)集団を形成している――における生活は、異なる信仰と文化は共存も協力もできないとい
イスタンブールは魔法のようなエネルギーを少しも失っていない。だが、トルコは地政学的な羅針盤をどこかに置き忘れてしまった。 今から数年前、レジェップ・タイイップ・エルドアン氏が率いる政府は東の方を向いた。トルコを欧州連合(EU)から締め出しておく気の欧州に蔑ろにされ、トルコは中東情勢を左右する大国としての自国の地位を高らかに宣言した。 近隣諸国とは一切問題を抱えていないと、政府のスローガンは謳っていた。トルコは、アラブの反乱から姿を現わすイスラム教民主主義国にとっての模範になるはずだった。 変わる中東情勢、賭けに負けたエルドアン氏 活気あるイスタンブールの街頭のシリア難民は、別の物語を語っている。機会に満ちた地域は混乱地帯と化している。すべてが始まったチュニジアを除き、民主化の春への崇高な期待は消え失せた。エジプトは独裁政治に戻った。リビアは破綻国家になり、シリアは血みどろの戦場になった。エ
3年近く前に米軍を撤退させたイラクに戻ることにしたバラク・オバマ米大統領の決断は、危険を伴うが、正しい。 スンニ派の過激派組織「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」の猛攻は、その過程でキリスト教徒やヤジド派といった無防備な少数派をとらえ、改宗するか、さもなくば死ぬかという最後通告を突きつけた。 イラク北部のクルド自治区はISISに制圧される恐れがある。人道的な大災害と戦略的な大惨事が同時に起きる現実的な危険がある。つまり、地中海に道がつながる中東地域の中心に新たなジハーディスタン(聖戦地域)が生まれる恐れだ。 ISISは勢力を拡大しており、食い止めなければならない。ISISの前進を止める手段を持つのは、米国だけだ。 宗派浄化に乗り出すジハード主義の脅威 米国は、ISISが8月初めにキリスト教徒が多数住む町とともにヤジド派の伝統的な居住地域だったシンジャールを制圧した後、モスル近郊の山岳
(2014年8月1日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」のジハード戦士たちが6月にシリア東部から飛び出し、イラクの北部と中部に攻め込んだ時、彼らはカリフ制国家の樹立を宣言しただけでなく、オスマン帝国のアラブ領地を分割し、全く異なる宗派と民族を欧州式の国民国家に投げ入れた1916年の英仏秘密協定「サイクス・ピコ協定」を破棄したと述べた。 だが、自らの帝国の利益を拡大するために第1次世界大戦後に英国とフランスが作り出したイラクとシリアは、すでにバラバラになり始めていた。 2003年の英米の侵略によって粉々になったイラクの事実上の分離もかなり進行していた。2011年に自身の専制政治に対する反乱が起きてから、バシャル・アル・アサド政権が自国民に無慈悲な戦争をしかけてきたシリアは、すでに宗派の線に沿って分解しつつあった。 1世紀前に逆戻りしたように見える中東
(2014年6月20日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 米英による2003年の侵略がいかにして2014年に単一国家としてのイラクの内部崩壊につながったのかを巡る激しい議論は、イラク軍を訓練し武装するのに300億ドルを費やしたにもかかわらず、同軍がなぜジハード(聖戦)戦士の大群の前にあっさり退散したのかを問う困惑した米国議会の議論とともに、やる価値のある議論だ。だが、そうした議論がイラクを救うことはない。 米国主導の占領がイラク国家を粉々にした――地域の勢力バランスを変え、宗派間の戦いに火を付け、それまでイラクを支配していた少数派スンニ派を権力の座から追い落とした――無謀さの後には、シリアを巡る西側のお粗末な意思決定が続いた。 シリアの(多数派のスンニ派による)反政府勢力に対する西側の支援をサウジアラビアとペルシャ湾岸の同盟国並びにトルコの手に委ねたこと、さらにバシャル・アル・アサド大統領
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