マレー半島南端に降って湧いた領有権争いはひとまず水入りとなった。1月8日、マレーシアとシンガポールは緊急の外相会談を開いた。領海・領空問題で対立する主張を棚上げし、妥協点を探ることで合意した。発端は昨年10月にさかのぼる。マレーシアが港の境界線を拡張すると突如表明。同国の船舶が自国領海内に繰り返し侵入しているとシンガポールは反発し「主権を守るため、断固たる措置もいとわない」と警告した。海の
3月29日、シンガポールでリー・クアンユー元首相の国葬が厳かに営まれた。シンガポールが生んだこの偉大な経営指導者・戦略家を筆者は心から尊敬している。リー元首相の指導者としての偉大さは、失礼ながら、昨今の大塚家具の父娘騒動を思い起こすまでもなく、誰もが認めるところだろう。 それでも、先週の英語コラムで筆者は、「シンガポールにとって、グッドニュースはリー氏が初代首相であったこと、バッドニュースは彼がシンガポールの唯一の「建国の父」であったことだろう」と書いた。今回は筆者がそう考える理由について詳しく書いてみたい。 シンガポールの巨星 シンガポールが中国共産党の模範とする統治モデルであることは既に何度か書いた(「中国の先生、シンガポールの政治が怪しい」、「もし中国がシンガポールになれたら」、 「中国の進む道は、台湾かシンガポールか」)ので、ここでは繰り返さない。 現在筆者の最大関心事は、リー・ク
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