シリア北部アレッポで、破壊された建物の前を通る男性(2016年5月2日撮影)。(c)AFP/KARAM AL-MASRI〔AFPBB News〕 欧米は過ちを犯したが、アラブ世界の悲惨な事態を招いたのは、主にアラブ諸国自身の過ちだった。 第1次世界大戦が最も激しい局面を迎えていた1916年5月。英国のサイクス・ピコとフランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコがオスマン帝国を切り分けようとレバント地方の地図上にこっそり線を引いたとき、まさか自分たちが大混乱のおぜん立てをしているとは思わなかったろう。 つまり、この土地がその後の100年間に、帝国の裏切りとアラブの憤激、不安定な情勢とクーデター、パレスチナでの戦争や立ち退き、占領、調停の失敗、ほとんどの場所での圧政、過激派勢力、テロなどに見舞われることになろうとは夢にも思わなかったはずだ。 アラブのひどい専制君主が次から次へとその座を追われ、反乱が