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北朝鮮と日本共産党に関するEreniのブックマーク (2)

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    第六章 証言「帰国事業は共産主義の“幻想”がもたらした悲劇だった」 小島晴則(こじま・はるのり)氏 横田めぐみさん等被拉致日人救出新潟の会会長【出版当時】。 元新潟県帰国協力会事務局長。 1931(昭和6)年新潟市亀田町生まれ。 小島晴則氏は1959(昭和34)年から始まった北朝鮮帰国事業の“現場”の最前線で在日朝鮮人や日北朝鮮に送り返す仕事をしてきた人である。その意味では、自分の目と耳で帰国事業にふれ、経過を見守ってきた貴重な証言者の一人だ。当時、小島氏は日共産党員として“革命精神”に燃えて仕事に取り組んでいたというが、実際にかの地を訪れ、朝鮮労働党員などと接するなかで、帰国事業そのものに大きな《疑問》を抱くようになったという。10年後の68年には、日共産党を自ら離党。現在は日問題だけでなく、拉致被害者を救出する「新潟・救う会」の責任者として活動を続けている【出版当時

  • 萩原遼氏を除籍

    共産党中央委員会の規律委員会は、十七日、萩原遼氏(元赤旗平壌特派員)の除籍を決定しました。 萩原氏は、一九八九年に赤旗編集局を退職した後も元赤旗平壌特派員の肩書を使い、党外の出版物で、党を批判したり、北朝鮮問題で党とは異なる見解を公表してきました。 そのつど、日共産党規約に照らし、党員の行動として誤りであることを指摘し、長時間の議論を経て、萩原氏も、「二度とやらない」と表明していました。 ところが、二〇〇二年九月に日朝平壌宣言が発表されると、萩原氏は、元「赤旗」平壌特派員の肩書で次々とマスコミに登場。日共産党が、北東アジアの安定と平和を確立する立場から、核問題や拉致事件など、日朝問題の解決の目標と方向を示したものとして平壌宣言を評価したのにたいし、萩原氏は、「一部の政党」と名指しは避けつつも、「身代金交渉に応じる卑屈な論」だと批判しました。 これにたいして、党は、今後同様なことをお

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