前回に引き続き、元神戸市の消防署長・森本宏さん(84)のインタビューを掲載する。2007年に『チェルノブイリ原発事故20年、日本の消防は何を学んだか? ―もし、チェルノブイリ原発消防隊が再燃火災を消火しておれば! 』(近代消防社)という本を出版し、原発事故の危険さと住民避難の不備を警告していた人である。1954年に関西大学法学部を卒業し、神戸市の消防士になった。市内のいくつかの消防署長を経て1990年に退職し、消防時代の専門分野である防火管理やパニック論について本を出版している。 『チェルノブイリ原発事故20年、日本の消防は何を学んだか? ―もし、チェルノブイリ原発消防隊が再燃火災を消火しておれば! 』(森本宏著、近代消防社) 「チェルノブイリ原発事故20年」は、福島第一原発事故前に書かれたとは思えないほど、原発事故の現実を的確に予言している。チェルノブイリ原発事故、スリーマイル島原発事故
2011年3月11日に福島第一原発事故の取材を始めて以来、私がずっと問い続けている疑問は「なぜ原発周辺の住民避難は失敗し、多数が被曝するという最悪の事態になったのか」である。本欄で報告してきたような、フクシマの地元市町村長や被災者住民、当時の政府関係者(首相官邸、経済産業省と原子力安全・保安院、原子力安全委員会など)への取材すべては、その問いへの答えが知りたいがゆえである。取材すればするほど、政府が準備していた住民避難のための法律や制度、組織といった備えは「何もないのに等しい」くらい甘いものだったことが分かってきた。 すると今度は「そういった避難体制の不備を指摘して、政府に危険を警告した人はいなかったのだろうか」という次の疑問が湧いてきた。これまで、原発災害を警告していた人を見つけ出すたびに本欄で紹介してきた。政府内で「ERSS(緊急時対策支援システム)/SPEEDI(緊急時迅速放射能影響
政府は二十五日、東京電力福島第一原発事故で政府事故調査・検証委員会が政治家や東電関係者らに聴取した記録(調書)のうち、新たに百二十七人分を公開した。当時の規制機関だった経済産業省原子力安全・保安院は、大津波が襲う可能性を認識しながら、組織内の原発推進圧力の影響で、電力会社にきちんと指導しなかった実態が浮かんだ。 保安院の小林勝・耐震安全審査室長の調書によると、二〇〇九年ごろから、東日本大震災と同じクラスの貞観(じょうがん)地震(八六九年)の危険性が保安院内でも問題になっていた。独立行政法人「産業技術総合研究所」の岡村行信活断層・地震研究センター長は、貞観地震が福島第一周辺を襲った痕跡を指摘。自らの調書では「四百~八百年周期で反復していると考えている」と述べた。 岡村氏らの指摘を受け、小林室長らは貞観津波の再来リスクを検討するよう保安院幹部に提案したが、複数の幹部から一〇年に「あまり関わる
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