私は今日、わが国の憲法と自衛隊の話をするためにこの場に来ました。 70年前の8月15日、私の家族は朝鮮半島にいました。 職業軍人の父は京城(現ソウル)に、母と生まれたばかりの兄は平穣(ピョンヤン)にいました。父は数か月前に平穣から京城に転属、平穣の将校官舎に妻子を残しての単身赴任でした。 日本の植民地であった朝鮮は、終戦と共に「自由連合」と「共産連合」の陣取り合戦の場となり、程無くして38度線が引かれました。南北の人の往来は大幅に制限され、残留邦人は祖国を目指したものの境界線で追い返されました。NHKの報道によると、日本がソ連に食糧不足を理由に38度線で邦人を阻止して北へ追い返すように要請したとのことです。 米軍の武装解除を受けて父は帰国、公職追放されたこともあり、実家に身を寄せました。母は、乳飲み子を抱えて10カ月間、官舎の仲間と一緒に北朝鮮を逃げまわりました。食料の入手は困難の極みで、