外務省は二十日、外交文書二十五冊を一般公開した。一九八六年四月にソ連(現ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故を巡り、翌五月の日ソ外相会談でシェワルナゼ外相が「平和な状況の下においても、核エネルギーは制御し得なくなった」と発言していたことが明らかになった。事故直後に東京で開催された先進国首脳会議(サミット)に向け、日本政府が国内の原発政策に影響するのを避けようと、推進の姿勢を鮮明にすべく動いていたことを示す記録もあった。 (大杉はるか) 四月二十六日の事故発生から約一カ月後の五月三十日、ソ連で行われた日ソ外相会談で、シェワルナゼ氏は安倍晋太郎外相に「チェルノブイリは全人類にとっての強い警告であると思う。事故は悲劇だった。人も死んだし、被ばくして病気になった人も出た。ただし破局は防止することができ、今のところ状況は安定している」と説明。こうしたやりとりが記された公文書が開示されたのは初め