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外交と中曽根康弘に関するEreniのブックマーク (3)

  • 中曽根元首相の “交渉術” 外交文書で明らかに | NHKニュース

    湾岸戦争直前の1990年にイラクで人質にされた日人の解放をめぐる、当時の中曽根元総理大臣とフセイン大統領の会談内容が、公開された外交文書で明らかになりました。 中曽根氏が日は中立的な立場だと強調し、和平交渉に協力する姿勢を示しながら、解放を働きかけた様子がうかがえます。 今回、公開されたのは、1989年から1991年に作成された外交文書で、1990年8月のイラクによるクウェート侵攻で湾岸危機が起きた前後の極秘扱いとされていた公電なども含まれています。 クウェート侵攻で起きた湾岸危機の際、イラクは、軍事行動の構えを見せるアメリカなど各国に対し、外国人を人質にとって対抗し、攻撃目標になり得る石油施設などに拘束したことから“人間の盾”とも呼ばれ、日人も213人が人質になりました。 公開された外交文書では、クウェート侵攻から3か月後の11月に人質の解放交渉のためにイラクを訪問した中曽根元総理

    中曽根元首相の “交渉術” 外交文書で明らかに | NHKニュース
    Ereni
    Ereni 2021/12/23
    腐せないなら別角度から何としても、という人達を見ると、昔 氏に向けられた無茶苦茶な非難を連想する/ソ連スパイが中曽根氏に接近失敗し、右と非難してたのも思い出した(中川一郎,池田大作は褒められてたのでお察し
  • 【外交文書】訪米時の中曽根康弘元首相「不沈空母」発言を記録 - 産経ニュース

    12日公開の外交文書には、1983(昭和58)年1月に訪米した中曽根康弘首相が、米紙ワシントン・ポスト社主との朝会で「日列島を不沈空母のように強力に防衛する」と述べたと記録されていた。 ポスト紙の報道後、中曽根氏は発言の有無に関し、説明を二転三転。後年のインタビューなどでは、実際は「高い防壁を持った大きな船」と表現し、それを通訳が意訳したと語っている。取扱注意とされた文書では、不沈空母発言について中曽根氏がポスト紙側の質問に、率直に答えた様子が見てとれる。ポスト紙がすぐに報じたが、日政府は同行記者団に発言を紹介していなかったため、記者団が政府側に確認を求めた。 中曽根氏は帰国前の記者会見で発言を否定したものの、帰国中の機内では一転して認め、国会でも同様の答弁。政界引退後のインタビューでは「通訳が、だいぶ意訳をした」「正確ではないと気付いたが、この方が分かりやすく、異を立てなかった」と

    【外交文書】訪米時の中曽根康弘元首相「不沈空母」発言を記録 - 産経ニュース
  • 【外交文書】胡耀邦中国共産党総書記、日本の自衛力増強容認 日中平和が続くのは「21世紀初めまで」

    昭和58年11月に中国の胡耀邦共産党総書記が来日した際、中曽根康弘首相に対し、「日が適当に自衛力を増強させることにつき中国は反対しない」と述べていたことが、12日公開の外交文書で分かった。胡氏はまた、日中両国が戦争を行うことはないとの見通しも示したが、日中の平和が続く期間を21世紀初めまでに区切っていた。 胡氏が日の防衛力整備に理解を示したのは、当時の中ソ対立を背景に日米両国との関係強化を目指す中国政府の方針に基づくもの。59年3月に中曽根氏が訪中した際には、趙紫陽首相(後の総書記)も「中曽根内閣の政策を軍国主義政策とは考えていない」と述べていた。 中曽根氏との会談で、胡氏は「いかに日が自衛力を拡大させようと、中国と戦うことにはならない」とも述べたが、日中間の平和が続くのは「今世紀末から21世紀初めにかけては」と前置きした。改革開放路線を進めていた中国指導部が、経済成長に伴う軍拡によ

    【外交文書】胡耀邦中国共産党総書記、日本の自衛力増強容認 日中平和が続くのは「21世紀初めまで」
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