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日本と北朝鮮と在日問題に関するEreniのブックマーク (4)

  • 北朝鮮に帰国した9万3000人の「在日」はどう生きたのか?

    「遠くにモクモクと黒くて変な形の雲が見えて、あれ、なんだろねと話していました」 広島市に原爆が投下された8月6日の朝、朴永淑(パク・ヨンスク)さんは、疎開していた広島県山県郡で南の空に原爆雲を目にした。それから9日後に日は敗戦。パクさんが広島市内に戻ると実家は跡形もなくなっていた。兄のが爆死していた。原爆投下時、広島市には約5万人の朝鮮人がいたとされる。 原爆きのこ雲を目撃し、身内を失ったパクさんは当時5歳。実は北朝鮮からの脱出者である。原爆投下から17年後、パクさん一家は在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮に渡ったのだ。 ◆在日の帰国事業1959年から25年間続いた帰国事業では、日国籍者約7000人を含め9万3000人余りが北朝鮮に渡った。その中には、広島、長崎で被爆した人が推定2000人含まれていた(現在の生存者は50人程だとされる)。 新潟から帰国船に乗った9万3000人は、当時の「在

    北朝鮮に帰国した9万3000人の「在日」はどう生きたのか?
    Ereni
    Ereni 2018/08/10
    北朝鮮帰国者の記憶を記録する会/「なぜ逮捕されたのか、どこに収監されたのか、生死も〜送金があったので、金を奪うために政治事件をでっち上げたのではないかと思う。同じように標的にされた在日帰国者がたくさん
  • 電脳補完録 拉致問題解決まで

    Ereni
    Ereni 2006/06/15
    2005.6.20. 姜哲煥(カン チョルファン)。「脱北帰国者支援機構」とは、前東京入国管理局長の坂中英徳氏が結成した
  • 『北朝鮮人権法案』で考えさせられたこと

    私自身この法案だけに取り組んでいるわけでもなく、また、これだけの批判を浴びれば、この問題を避けて昨晩のワールドカップサッカーの話題に転換したいなどという誘惑に駆られるのも正直なところですが、法案策定に関わった者として敢えて説明責任を果たすために、法案成立への経緯について明らかにしておきたいと思います。 今朝、民主党の外交・防衛部門会議において、松原仁衆院拉致対策特別委員会筆頭理事から、昨日の委員会における『北朝鮮人権法案』可決の経緯について報告がありました。同特別委員会では、平沢勝栄委員長から与野党合意に達した同法案が委員長提案され、共産、社民両党が反対する中で、起立採決が行われた結果、可決されたとのこと。社民党の反対理由は明確ではありませんが、共産党は、同法案が、事実上、北朝鮮の現体制を崩壊へ導く可能性をはらんでおり「内政干渉法案」とも呼ぶべきものである、というのが反対理由とのこと。

    Ereni
    Ereni 2006/06/13
    この引用コメントはちょっと筋が違う。政権崩壊させる為の脱北者受け入れでしょう。こんな事をいっていては、自民党に「非現実的」と言われて当たり前。
  • 【はなし康弘】 - コラム

    懸案となっていた北朝鮮人権侵害問題対処法案。  6月8日深夜、自民党の逢沢一郎幹事長代理(拉致対策部長)と民主党の中井洽拉致対策部長との間で、我々の案をベースに微修正を行うことで合意が成立、今国会で成立の見通しとなった。  私たちが提出した「北朝鮮人権侵害対処法案」は、その内容を見れば、(北朝鮮信奉者の方は別として)決して成立を先延ばしされる性質の法案ではなかったと思う。  ただ、4月28日に法案を提出して以降、民主党が法案の審議入りを拒否、成立も危ぶまれる状況になり、ここに至ったのが実態。  実は民主党さん、この2月に、「北朝鮮人権侵害被害救済法案」(略称)という、我々の法案と名前の似た法案を提出していた。  ただその中身は、我々の法案とは内容が全く別、北朝鮮から脱出したいわゆる脱北者を日に受け入れ、金正日政権の弱体化を図ろうという、「気なの?」という中身だった。  そこで、我々

    Ereni
    Ereni 2006/06/13
    国際政治に詳しい人間と、国内政治に見解がある人間、両立はしないのだよなー。
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