順調な滑り出しだったが、1997年に状況が一転した。アジア通貨危機が発生したのだ。タイ通貨バーツの暴落を皮切りに発生したこの経済危機は、またたく間にアジア諸国に波及し、各国経済に悪影響を及ぼした。 ミャンマーでも2003年、銀行危機や取付騒ぎが起こり、資本市場の育成に向けた気運は一気に減退した。さらに、2007年には燃料の大幅値上げをきっかけに全国規模で高揚した僧侶による非暴力抗議活動や学生による政府抗議デモを軍事政権が弾圧・抑圧する事態が発生。 これに対し、欧米諸国が経済制裁に踏み切ったことから、証券取引所の設立に向けた機運は一層縮小した。 しかし、そんな逆風の中でも取り組みは続いた。この時期、日本をはじめ、欧米など各国の企業の多くは撤退を余儀なくされた。また、欧米諸国は政府開発援助(ODA)を停止。日本政府は支援は続けたものの、分野は人道支援に絞り、規模も縮小していた時期だ。 証券市場