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日本とhistoryとblogに関するEreniのブックマーク (2)

  • イスラム圏のダンシングボーイ | ジャックの談話室

    サマルカンドのダンシングボーイ(写真左) スーダンの首都ハルツームは、イギリスがスーダンを植民地にしたときに建設した行政都市で、良くいえば整然とした、悪くいえばだだっぴろいだけの無味乾燥な面白みのない町ですが、ナイル河を挟んだ対岸の町オムドゥールマンはイスラム教徒の造った町で規模は小さいものの、カイロのハーン・ハリリーのような活気のあるスーク(市場)もあって、見物するにはこちらの方が面白いです。 このオムドゥールマンでは、1950年代まで奴隷市が立っていたそうですが、70年代の後半にハルツームに駐在していた私の知人のイギリス人外交官によると当時、ここには若い男の売春宿があったそうです。 友人はこの売春宿の常連だったそうで、新しい男の子が入ってくると売春宿の親父が「旦那、良い子が入りやしたぜ」と電話をかけてくるのだそうです。 知らせを受けてハルツームからオムドゥールマンまで車を飛ばして行くと

    イスラム圏のダンシングボーイ | ジャックの談話室
    Ereni
    Ereni 2016/06/20
    江戸時代の若衆や陰間が女装していたのもダンシングボーイと共通していますし、陰間茶屋では陰間のことを「子供」と呼んでいましたが、中央アジアでもダンシングボーイを子供を意味する「バッチャ」と呼んでいたそう
  • 現在の歴史認識問題について | 中東・イスラーム学の風姿花伝

    現在の東アジアの国際政治の最大の課題は、すでに活力を失った日をどう縛るかではなく、活力がありすぎる中国をどう縛るか(「縛る」という表現がよくなければ、「の首に鈴をつける」)というものである。この基礎の基礎が、日の議論ではしばしば忘れられていないだろうか。 かつて「日を縛る」ことが東アジアの平和になにがしか役立っていた時代があった。といってもその間に東アジアに地域紛争は起きていたが。その時代を生きてきて、「どう日を縛るか」を考えて発言して、それによって自我を形作り人生を築いてきた人たちが、現在高齢化し、新たな世界状況を見る意欲や能力を失っている。歳をとれば無理もないことである。かつて高齢者が希少だった頃は、むやみに新しいことを知っている必要はなかった。昔の知恵を伝えてくれるだけでよかった。 「自分たちが信じてきたもの、当然と思っていたもの、支えにしてきたものが、大きく変わってしまっ

    現在の歴史認識問題について | 中東・イスラーム学の風姿花伝
    Ereni
    Ereni 2015/08/15
    昨年ダボス会議安倍発言は西側で強い反応引き起こしたけど,米は南シナ海の中国の様子をCNNに取材させhttp://bit.ly/1fcnAou 中国が歴史認識で欧米非難を始め/つか端的に軍事パレードとプロパガンダ結びつける中国ヤバイって話
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