京大のC(教養部)はキャンパスの過半を制するのだから、ここに手をかけるというのは激烈な反動を呼ぶ。86年1.20も引き金は(実態はボロボロだったとはいえ)C代大(教養部代議員大会)を目指したからだし、87年ー88年の過程でそれに再挑戦し、88年5.31E号館解放(「政経研」を放逐し彼らのボックスを占拠した)でその本気度を示すとともにCへの武装登場の足がかりを失ったこともあり、革マルによる全国JACを動員した6.23襲撃を呼び起こした。さらに7月1日にE号館に武装登場した関西革マルと偶然遭遇し衝突となった。 5.31のときも含めていずれもキャンパスに警察権力が介入する事態となり、これに対して赤ヘル同学会の諸君も抗議した。 7月1日、権力がキャンパスから退去した後、A号館前広場で総括集会をしたときには、赤白一緒になった。当方は司会を担当していたが、「続いて同学会の学友から発言を受けたいと思いま