アビゲイル・シュライアー(Abigail Shrier)によるIrreversible Damage (2020)の訳本が、『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』として、産経新聞出版より出版されます。詳細な批判や問題点の指摘は後日したいと考えていますが、取り急ぎ、すでにある反論や反論となる論文等をまとめました。また、りんごの人さんも同様の記事を先に書かれています。本記事と重なる文献もありますが、異なるものもありますので、ぜひ、そちらも参考にしてください。一応、こちらはコミュニティ外の方、特に「でも『学術』的には~」となってる方へ向けたものとして考えています。 あくまでIrreversible Damageやそれを支える主張自体の批判を中心とするため、トランス差別以外にも、Nワードを繰り返したりユダヤ系の方を差別したりしているJoe Roganのポッドキ
わたしがインターネットを通して見つけた批判テキストや動画へのリンクを、ここにまとめておきたいと思う。 ※このブログでは、できるだけヘイトスピーチを引用しないようにしているが、本書の内容が内容なため、各自ご注意ください。 (3.11追記)本書の表紙が当事者にとってヘイトフルであるという指摘から、表紙が表示されるものにも注意喚起をつけました。 アビゲイル・シュライアー著『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters』は、2020年にアメリカで刊行されて以降、専門家や当事者などから数多くの批判や指摘を受けていることがわかる。 とりわけ、本書の核となっているROGD(Rapid-onset gender dysphoria)について、科学的根拠に乏しいという批判が多いようだ。“ROGD”、一見するとなにやら医学的
同書を読んだので内容を自分なりにまとめてみる。 まずアメリカにおいて、未成年の性別違和感の診断について、いいかげんな診断が行われ、それに沿った手術も行われる、という問題自体はあるのだろう。一方で、本書のそうした危険についての紹介の妥当さは、控えめに言って懸念が残る。 未成年で、自分がトランスジェンダーではないかと悩む人の内、勘違いであるものも当然、あるだろう。一方で、勘違いでない人もいるだろう。どうやって見分けるのだろうか。 この本によると、トランスジェンダーの人は、自分の性別違和を子供の頃から明確にわかっており、本当にそうかと悩むこともなく、誰とも相談する必要もなかったという(INTRODUCTION CONTAGION)。 逆に言うと、悩んでるトランスジェンダーの人はトランスではないという主張なわけで、こういう理解を広めるのは本当に危険である。 この本のほとんどは、トランスジェンダーで
2022.4.21 追記あり 2. トランスイシューに関する記述について 前のエントリの続きです。こちらのほうが本題。 先に述べたとおり、6節はここだけ「フェミニズムとジェンダー理論」の著作の紹介という形をとっていないという点で異様なのですが、その代わりに語られている著者自身の時代診断のうち、トランスイシューに関する部分は特に問題が多く、「現在こうなっている」と著者が語ることの多くがトランス差別的なクリーシェをなぞっていると私は思います。 ぱっと見で気づいたところだけ順番に引用して指摘していきます。 こんにち、「女性が子どもを産む」という身体的な特徴の描き方のみならず、「母親」という言葉自体が、トランス差別であると批判 さかね(ママ) ない。出産する「トランス男性」や出産できない「トランス女性」に対する排除的表現だからだ。政治的に正しい表現は、「子宮をもつひとが出産する」となる。このように
『社会学評論』*1の72巻4号で、「ジェンダー研究の挑戦」という公募特集*2が組まれています。この記事ではそこに掲載されている千田有紀さんの論文「フェミニズム、ジェンダー論における差異の政治」について、私の簡単な感想を記しておきます。 千田さんはこれまでも(ご本人の意図はどうあれ少なくとも結果としては)トランスジェンダーに対する差別的な言説をエンカレッジしてしまうことになるような文章を書いてきており*3、その事情を知る人たちの間には評論掲載の論文もそうなっていないかという懸念がありました。実際に読んで、残念ながらその懸念が払拭されたとは言い難いという感想を私は持ち、そしてそのことは日本社会学会の会員として表明しておくべきだと考えました。 1. 論文の構成に関する問題 トランスジェンダーについての記述について検討する前に、私にはそもそも千田論文の構成がよく理解できず、結論として何が主張されて
ニュートン別冊 精神科医が語る 精神の病気の「性別違和」の中身がひどい、と聞き本屋で立ち読み。(買おうと最初思ったが、まあ買わなくていいかと思い・・) 章立てからして。DSM-5に準拠。 「性別違和」の中身も「晩発性」「男性嗜好」といった言葉遣いからして、DSM-5日本語訳がネタ本。 で、ちゃんとDSM-5を要約しているのならまだしも、 「ということがある」「傾向にある」といった表現をすべて無視して、目立つエピソードをつなぎ合わせ、断定的に「晩発性の男性の性別違和は異性装に性的興奮し、女性嗜好を持ち、レズビアンとして自己同一性を持つ」(正確な引用ではありません)といった感じに言い切るので、ひどいことになっている。 ライターさんがDSM-5をもとに、適当に記事を書いて、それを専門外である仮屋先生が「監修」として名前だけ貸した、ということだと思うが。 まあ、廉価な原稿料しか払えない一般商業誌な
2019.01.31 21:05 流行する「女性」メディアは、軽やかさを超えることはできるのか?/清水晶子×鈴木みのり【年末クィア放談・前編】 昨年末12月29、30日の2日間、新宿・歌舞伎町のホステスクラブでイベント「PURX」が開催されました。トーク、音楽、食、スクリーニングなどを通じて境界を越えた連帯を図るこのイベントでは、清水晶子さん(東京大学大学教員)と鈴木みのりさん(ライター)が登壇した「清水晶子と鈴木みのりの年末クィア放談」というトークが行われました。 wezzyでは本トークイベントの様子を、前後編に再構成してお届けします。前編は、男女の格差や性差別への問題意識、LGBTはじめとする性的マイノリティの権利を求める声が高まるなか、いま増えつつあるフェミニズムや「女性」を看板とするメディアについてのお話です。 増えつつある「女性」を冠にしたメディア鈴木:2017年に刊行された「早
今回の連載では、女性を「不完全女性」と認定するとはどういうことか、について考えていきたいと思います。「不完全女性」って何じゃそりゃ……と思われるかもしれませんが、特定の女性をなんとなく女性ではないようなものとして扱うというのは、歴史的によく起こっていたことです。今日は私が昔から抱えている、不完全女性として認定されることへの恐怖について書きたいと思います。 『リトル・ブリテン』のエミリー・ハワード 『リトル・ブリテン』というコメディシリーズが、イギリスのBBCで2003年から2005年まで放送されていました。これはマット・ルーカスとデイヴィッド・ウォリアムズという2人のコメディアンがいろんなキャラクターを演じるお笑い番組です。今だと全然笑えないのでは……と思うような内容もあり、クリエイターのマットもちょっと失敗したところがあると回想していますが、当時はとても人気がありました。 私のお気に入り
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く