いくら能力があっても、ひとりの人間には限界があります。よほどのカリスマ性がないかぎり(僕にはない)、人は無条件にはついてきません。僕がやっている監督という仕事は、人の力をどれだけ引き出すかにかかっています。では、どうやってその能力を引き出すのか? そのコツのひとつは、「ウケる」です。 むやみに怒鳴りまくっていた、過去の僕 僕は「サラリーマンNEO」という番組の監督を務め、おかげさまでそこそこ人気番組になったのですが、その番組を始めた32歳の僕は、強烈なプレッシャーに駆られていました。 同期は局の顔的な番組であるNHKスペシャルなどを担当しているし、片や「サラリーマンNEO」は「これがNHKの番組?」と非難されること必至の番組です。だから、とにかく自分がリーダーシップをもって、現場を引っ張りまくることが必要だと、会議では自分の意見を押し通し、現場ではカメラマンを怒鳴りまくっていました。 殺伐
「自分磨き」でキャリアアップを目指すにはどうすればいいのか。「プレジデントウーマン」(2017年9月号)では、「学び」を通じて可能性を広げた5人の女性に話を聞きました。第3回はアサーティブ(自己主張)のトレーナー資格を持つ女性による「話し方」のアドバイス――。(全5回) ※本稿は、「プレジデントウーマン」(2017年9月号)の特集「幸せなひとり時間」を再編集したものです。 率直に『できません』『こうしてもらえませんか?』 ▼プレジデント ウーマン読者アンケート もし、もっと自由時間が取れたら、何をしたい? 1位:旅行・街歩き:73.7% 2位:キャリアアップの勉強:55.5% 3位:新しい趣味を始める:34.2% 4位:マッサージ・エステなど:33.1% 5位:睡眠・休息:32.5% ※複数回答
気がつくと、確かに、身の回りでも、頑迷で不機嫌なお年寄りを見掛けることが多くなった。筆者も先日、こんなシーンを目撃した。電車内で、やや足を伸ばして座っていた若い女性に対し、途中から乗ってきた高齢の男性がその足を軽くたたき、「邪魔じゃねえか」とキレ、つかみかかるようにして声を荒げた。その後、その女性も負けじと「あんた、触ったでしょ」と応戦、すさまじい言い合いバトルに発展した。高齢男性にとっては、その反撃が意外だったようで逃げるように降りたが、女性が猛然と追いかけていく展開となった。 別の日には、バスの中で、子供が泣いているところを母親が必死であやしていたのだが、後ろに座っていた老夫婦が顔を見合わせ、「ああいうのは親が何とかすべきだよねえ」などといらいらしながら話しているのを聞いた。 高齢者は本当に「キレやすい」? 保育園の建設に「うるさくなる」と反対する。若い駅員を怒鳴りつける。店員にいちゃ
ニュース3面鏡 インターネットの登場以来、以前にもまして巷にはニュースがあふれ返っています。そうしたニュースや出来事の中から、DOL編集部が気になる出来事を厳選し、正面のみならず右から左から、価値あるニュース、楽しいニュースをお届けします。 バックナンバー一覧 異なる世代や環境の人と、リアルにコミュニケーションを取ることを苦手とする若い世代は、自らの生活をSNSで拡散し共有し、「いいね」で共感してもらうことを好みます。その理由としては、「承認欲求」が満たされるからと言われています。普通に暮らしていれば、単調で取るに足らない一日が続くのがむしろ当たり前です。しかし彼らは、毎日のようにおいしそうな食事や美しい景色、心躍るような仲間とのひとときを公開します。その姿は、時に「必死で幸せそうに見せている」ようにも見えます。このように「承認欲求」の強い若い部下を上司としてどう扱い、いかに力を発揮させる
人気TOP記事 看護師の接遇・タメ口・上から目線 看護師の性格・プライドと傲慢さ 看護師の性格・キツい・気が強い 看護師のイメージ 〜 天使か娼婦か 看護師の患者関係・恋愛・共依存 「看護師‐患者関係の境界」・パターナリズム・そして共依存 ここでは日本においてまったく浸透していない看護における職業倫理、看護師ー患者関係の倫理問題についていくつか紹介する。 看護師と患者の恋愛・デート よく話題に上る話だが、看護師と患者の関係において、看護師は患者と個人的な関係はもとより、恋愛関係・性的関係になることはあってはならないことなのだ。 それは何故か。 看護師-患者関係の職業的境界線 "Professional Boundaries and the Nurse-Client Relationship" 「看護師-患者の関係と職業的境界線」という「治療的境界」の概念である。 www.ncsbn.org
「自分は平均以上」と勘違い 先日電車に乗っていたら、隣に中学生くらいの女の子が座っていました。かわいい子だったので、手元のスマートフォンを操作している振りをしながら、横目でチラチラと見ていました。 すると、あろうことか、彼女は席を立ってしまいました。 ジロジロ見過ぎてしまったことを反省しましたが、しかし、どうやら私の視線が気になって席を立ったわけではないようです。理由はすぐに明らかになりました。「どうぞ」と目の前のお年寄りに席を譲ったのです。 深く恥じ入りました。 気が利く、気が利かないとはなんでしょうか。 彼女は気が利く人です。一方、私は気が利かない人です。これは明らかです。でも、ここで問いたいのです(決して言い訳のためではなく)──気が利かない人は、その時、自分を「なんと気が利かない人間だ」と残念に感じているでしょうか。 きっと感じていないでしょう。なぜなら、そもそもそのお年寄りが困っ
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