2010年10月10日00:00 カテゴリ社会・世界情勢 竹島から尖閣を考える 領土とは何か 搦(から)め手から行きます。 1904年に日露戦争がはじまり、日本軍はますます朝鮮半島に入り込みます。日清戦争もそうでしたが、日露戦争も、地上戦の大部分は朝鮮半島が戦場になったのです。このまま日本に支配されるのではないかと、李朝宮廷が危機感をつよめていたさなか、05年、伊藤博文は朝鮮に渡って「保護条約」締結を迫り、翌年には朝鮮統監に就任します。 そういうどさくさのなかで、日本は竹島をどこにも属さない地として、無主地先占の原則にのっとり、その領有を国際社会に宣言したのでした。領有宣言がなされたら、異議のある国は一定期間のあいだに異議を唱えなければなりませんが、当時、朝鮮はそれどころではありませんでした。その結果、どこからも異議が唱えられなかったとして、日本は竹島を版図に組み入れたわけで、私は韓国の人
尖閣諸島=釣魚諸島の沖合で海上保安庁の追跡を振り切ろうとして巡視船に衝突し、海保に逮捕された中国漁船の船長の拘置が延長された。事件については、9月9日の段階で各紙が一斉に社説で報じている(▼1)。内容は今さら説明するまでもなく、(1)「逮捕は当然」であり(読売・朝日)、「日本の対応を非難する中国側に理はな」く(毎日)、「政府が「法令に基づき厳正に対処していく」(仙谷由人官房長官)としているのは当然」であり(東京)、むしろ「事件発生から逮捕まで半日近くかかったのは疑問」(産経)であり、(2)「ネット世論が混乱を煽(あお)った5年前の「反日」暴動を再現させるようなことがあってはなるまい」(読売)、「ネット上でも対日批判の書き込みが相次ぎ、北京の日本大使館前では抗議活動があった」(朝日、毎日・東京も同様)、「単なる違法操業でなく、漁船を装った情報収集や工作活動の疑いもある」(産経)などとして、(
英語版 平成14年9月17日 小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002年9月17日、平壌で出会い会談を行った。 両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。 1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。 双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。 2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く