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さ:差別とり:良エントリーに関するdimitrygorodokのブックマーク (7)

  • ポリティカル・コレクトネスは表現の幅を狭めるか - 宇野ゆうかの備忘録

    最近のネット炎上を受けて、竹下は、「表現の幅が狭まってる」「昔はもっと自由にできた」と感じている制作者と、不快な表現に批判的な声を上げるようになった受け手の間で、「分断」が起きていると指摘した。 「ネット炎上→削除」の先にあるもの。小島慶子さんらと「メディアと表現」考えてみた | ハフポスト よくある「最近はポリコレポリコレうるさくて、自由に表現できないよ」というやつだ。でも、それは当なんだろうか。私は、むしろ逆だと思っている。 オードリー・ヘップバーンが主演を務めたことで有名な1961年のハリウッド映画『ティファニーで朝を』に、「ユニオシ氏」という日人(日系人)キャラクターが登場する。ミッキー・ルーニーという白人俳優が「イエロー・フェイス」をして、つり目で出っ歯で眼鏡をかけて、LとRの区別がつかない、いかにもステレオタイプな日人を演じている。 Breakfast at Tiffa

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2018/12/01
    そう、差別してる人達は他人を十把一絡げに考えてるから非常に表面的かつ類型的になりがち
  • あー飲んだ飲んだ、美味かったwww つー訳でもう寝るが一言だけ。 - 消毒しましょ!

    「ファンタジーと現実の犯罪を混同している」バカをdisったら、同種の「ファンタジーと現実の犯罪を混同している」バカがタイトルだけ読んで、事もあろうにオレが「ファンタジーと現実の犯罪を混同している」と頓珍漢な非難を繰り広げているのがブコメの惨状。どいつがバカで、どいつがきちんとエントリの趣旨を読めているかが丸分かりw これは踏み絵なのだwww 「現実に被害者はいないからOK」などという抗弁は単なる摩り替え。フィクションである以上「現実に被害者はいない」のは当たり前。そんなことを言ったところで何の意味もない。 「被害者」はフィクションの中に存在する。レイプが「和姦」であるなら、それは最初からレイプではないのだから定義矛盾に陥るばかりか、陵辱行為を娯楽とする「レイプ・ファンタジー」そのものが成立しなくなるので、このことをもってしても「被害者」がフィクションの中に存在していることは明らか。 「最終

    あー飲んだ飲んだ、美味かったwww つー訳でもう寝るが一言だけ。 - 消毒しましょ!
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/04/16
    ファンタジー内の暴力被害者の意味から歴史認識の問題にまで言及していくエントリ/陵辱物の毒性がどこにあるか理解するのに大きな助けとなる。
  • Gazing at the Celestial Blue 「表現の自由」は誰のものですか?

    (6月6日付エントリの続きである、6月8日付エントリの続き) 板坂耀子氏の「私のために戦うな(弦書房、2006年12月25日発行)」の117ページに「ありふれたパターン」と題された章に、こんな記述がある。 昔から恋愛映画のクライマックスになると、どんなに優しくおとなしい男性と強く積極的な女性のカップルでも、男性が女性を抱き寄せ、女性はそれに抵抗し、そして最後には必ず男の胸を押しのけ叩いていた女の手は男の首にからまって、二人はベッドに倒れ込み、結局のところ幸せになる、と指摘する。(略)これまでの映画は、国も時代も問わず、男女のラブシーンといえばまずはもう必ず、男が抱き寄せ、女が押しのけ、そして最後に女の抵抗が終わってめでたし、という図式を踏襲しつづけてきた。(略)大抵の人間なら、繰り返し見せられれば、恋愛とはこういうものと思い、それに自分を遭わせるように学習するのが普通だろう。「現実が芸術を

  • エクストラレポート・ルーム:「1月24日・新宿の話」(1) - livedoor Blog(ブログ)

    在特会の行動が凶悪化している。 アホさ加減も凶悪化している。 まさに「妄動する保守」を体現する様に。 規模の膨らみ過ぎた在特会は、今では徹底したトップダウンの「全体主義」体制を取っているという話も耳に挟んだ。 「バカを集め過ぎた結果、バカの期待に応える進路しか取れなくなっている。今更“自浄”しようとすれば会員の大半を失う。奴らはもう行く所まで行くしかなくなっているんだ」という話もある。 YouTubeやニコ動を巧く活用し、ネットでの情報戦(イメージ戦)ではレイシズムカウンターの何歩も先を行っているとも言われる。 もっとも、これは私には“行っていた”ではないかと思えるけど。 確かに在特会の、あるいはその支持者の動画数は今でも多いし、順調に増え続けている。 だが、コメントの反応はどうだろうか。在特会やレイシズムを非難し嗤う、カウンターになる動画やコメントもぽつぽつと出現し、増え

  • 「貧困」の露呈とその隠蔽 - Arisanのノート

    連日ハイチから伝えられる被災の状況は、目を被いたくなるとしか言えない惨状だ。 http://mainichi.jp/select/world/news/20100118k0000e030051000c.html だがこうした大災害の生じたとき、もちろんその出来事によって被害を被った人たちの救援が急務なのだが、そこで露呈しているものは、それまでの日常の世界に存在していた圧倒的な不均衡や歪みであり、それに対するわれわれの無関心でもあるということも、忘れてはいけない。 つまり、ハイチという国が、この現在の世界の中で極度の貧困に苦しんでいなければ、したがって一定の強度をもった建造物や医療設備や防災システムを持っていたなら、これほどの被害は生じなかったはずだが、それほどの貧困の現実と、それを作り出している世界的な富の偏在というものに、私を含めた多くの人は、このような災害の惨状に接して、初めて気づくの

    「貧困」の露呈とその隠蔽 - Arisanのノート
  • 治安への欲求と歴史についての言説(13日・19追記) - CUATRO GATOS広報部はてな非公式出張所・『渋谷ハチ公前広場』

    ネット一部で行われている「ホテル・ルワンダ」論争。とりあえずの発端は、日へのこの映画の紹介に尽力して、パンフレットに寄稿もしている町山智浩氏のこのエントリーからはじまったわけです。 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060225 騒動の概要はここからトラバを追っていくといいでしょう。 パンフレットの最後の一行で関東大震災時の朝鮮人虐殺に言及したことが以後議論の的になります。 この論争事態は中途で重大な転機を迎えます、id:finalventさんが書いたこのエントリーです。 http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060304/1141473634 「日人とユダヤ人」という極めて問題含みのを自らの主張を代弁させる形で引用したことに私などはまず反応しましたが、その主張自体にも批判がありました。しかし、同様に幾人かの方が反論して

    治安への欲求と歴史についての言説(13日・19追記) - CUATRO GATOS広報部はてな非公式出張所・『渋谷ハチ公前広場』
  • 産経・新潮的な言説のセクシュアリティに対する首尾一貫した態度 - Apes! Not Monkeys!  本館

    すでにどこかで指摘されていたようにも思うが、強調しすぎるということもないと思うので。 例の曾野綾子の一文を載せた産経新聞、渡辺淳一のコラムを載せた『週刊新潮』が、いずれもアンチ“過激な性教育”キャンペーンに加担したメディアであることは偶然でもなんでもありません。「一方で自衛しろ、と書かせておいて他方で自衛のために必要な性教育を批判する、ってダブスタじゃね?」というのはあたりません。産経・新潮的な言説のセクシュアリティに対する首尾一貫した態度がここに現れています。性犯罪にせよ「望まない妊娠」にせよ、これらは産経的思考によれば共同体が(主として)女性の性を監視・管理することによって防止されるべきことであって(だから避妊しなかった男より“身を任せた”女が問題視される)、(主として)女性が性的自律性を獲得する(また各人が各人の性的自律性を尊重する)ことによって防止されるべきことではないからです。産

    産経・新潮的な言説のセクシュアリティに対する首尾一貫した態度 - Apes! Not Monkeys!  本館
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