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さ:差別とハンセン病に関するdimitrygorodokのブックマーク (3)

  • ハンセン病強制隔離 県の関与、検証難航 : 熊本 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「らい予防法」の制定(1931年)を機に全国に広まり、戦前から戦後にかけて官民を挙げてハンセン病患者を強制隔離した「無らい県運動」。県は検証委員会を発足させ、行政としてかかわった負の歴史を検証し記録に残す作業を進めているが、関係資料が乏しく難航している。(小笠原瞳) 蒲島知事が2008年の初当選後に国立ハンセン病療養所「菊池恵楓(けいふう)園」(合志市)を訪ねたことがきっかけだった。「無らい県運動など国の政策の一端を担った歴史を持つ県の代表者として心からおわびします」。そう謝罪する知事に対し、入所者が「どうかかわったのか検証してほしい」と要望したのだ。 検証委が始動したのは11年1月。再発防止や偏見・差別のない社会を実現することを目的とし、入所者、学識経験者ら5人が委員を務めている。 検証記録は、「戦前」「戦後」「各界の役割」「現代におけるハンセン病の課題」「被害の実態」「ハンセン病問題の

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/06/17
    公文書の存在が異様なまでに軽んじられるのには国も地方もないって訳ですか…(汗
  • ハンセン病違憲10年:今も続く「隔離」 原告団副団長 - 毎日jp(毎日新聞)

    かつて監禁室として使われた建物を案内する志村康さん=熊県合志市の菊池恵楓園で2011年5月9日午後3時34分、澤麻里子撮影 ハンセン病患者隔離政策を違憲、違法と断じた01年の国賠訴訟熊地裁判決から11日で10年。差別や偏見に苦しみ、故郷を追われて療養所に隔離された入所者の社会復帰を後押しすると期待されたが、同訴訟西日原告団副団長を務め、今も国立療養所・菊池恵楓園(けいふうえん)(熊県合志市)で暮らす志村康さん(78)は「裁判に勝っても差別はなくならなかった。私は『隔離』は今も続いていると思う」と話す。【澤麻里子】 10年前の5月11日、熊地裁は歓喜の声に包まれた。手を取り、抱き合って喜ぶ原告たちの中に志村さんがいた。「自分はこの世にいない」と心に決めて生きてきただけに「人間と認められた瞬間だった」と振り返る。 志村さんは旧制中学3年の時、ハンセン病と診断され、恵楓園へ。外出制

  • 藪本雅子『ゲゲゲの鬼太郎とハンセン病』

    ハンセン病の国賠訴訟で、原告団長をつとめていた谺さんいわく、 ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじは、ハンセン病であったとか。 初期の作品の「幽霊一家」に鬼太郎誕生の巻があり、それによるとこうだ。 売血を輸血した患者が幽霊になる事態が発生していて、 血液銀行につとめる水木が調査を命じられた。 調べてみると、自分の家の番地の古寺の者の血だということがわかり、 訪ねると、そこに幽霊夫婦が住んでいた。 夫は、「不治の病」でその治療費がかかるためにが血液を売っているのだった。 はそのとき、妊娠していた。 数ヵ月後、水木が再度古寺に行ってみると、夫婦は死んでいた。 水木が墓を掘ったが、夫は身体が崩れていて運べず、 だけ墓に埋めて帰る。 墓の中で、幾多郎は自力で生まれ、墓穴から這い出してきた。 すると、死んでいる筈の父親が突然目を見開き、子供を励まそうと 目玉ひとつだけが顔から転がり出て、鬼太郎のそばに駆

    藪本雅子『ゲゲゲの鬼太郎とハンセン病』
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