古くて新しい死刑の存廃論 この記事を読まれている人の中には、死刑制度について賛成だという人も少なくないかもしれない。現に、大臣の所信表明でも多くの世論が賛成であるとしているし、死刑制度の廃止については時期尚早であるといった言葉が使われることが多い。 しかし、筆者がここで問いたいのは、死刑に反対であるにせよ賛成であるにせよ、みなさんは、実際に死刑制度についてどの程度ご存知だろうか、ということである。とくに、制度そのものの是非と同時に、死刑を維持していくことの前提となる「刑事司法手続」について意識されたことはあるだろうか。 経済的に発展している国の中でも死刑が維持されていることで有名なのはアメリカだが、これまでこの国では、死刑制度の存置について合憲と違憲のあいだを揺れ動いてきた。すなわち、アメリカでは、死刑についての議論を行わずに同じ運用が行われているのではない。常に、運用を見直して修正しなが
刑壇に立たせた死刑囚の首にロープをかけ、別室の壁にある3つから5つの執行ボタンをすべて押して床を垂直に開く…。死刑囚が奈落に落ちてその首に何百キロという負荷がかかり、絶命するまでを見届ける。ロープの長さは身長に合わせて長からず、短からず、前日からの調整を求められる。 これら死刑を執行する刑務官の苦患と葛藤を転勤族の坂本自身も含め上層幹部たちは分かろうともしない。そこで死刑という仕事をさらに知るために職員並びに直接、被収容者(死刑囚及び死刑判決を受けた被告人)と面接することを望み、その中の一人に永山を選んだのである。 1968年10月8日、当時19歳の少年永山則夫は、横須賀米軍基地に忍び込み二十二口径の拳銃と実弾50発を盗み出した。何をするという目的があったわけではないが、保持を続け、同月11日、寝場所にしようとしていた東京プリンスホテルの庭園で質問をしてきたガードマンを警官と間違って射殺。
7人の死刑囚が同時に執行された。これは共同犯行の場合は刑執行も同時に行う慣例に基づいているが、共犯者の全てでは無く約半分だけ先行という点で、慣例から外れているとも言える。 本ブログは、まもなく「激闘永田町編」を終えるので、この機会にもう一度死刑に対するスタンスを明確にしておきたい。ただ、基本的なスタンスに変化は無いので、主に過去ログから引用する。 死刑制度は、本質的に統治原理と司法制度の不公正の上に成り立っている。例えば、日本における殺人犯に対する死刑宣告率は、概ね1%強で推移しているが、殺人犯のうち1%の死刑囚と99%の無期あるいは有期囚の違いについて、合理的説明ができるのかと聞けば、非常に苦しい答えしか返ってこないはずだ。具体例を挙げれば、「殺したのが一人なら懲役だが、二人なら死刑」という原則は、統治上の便宜性(どこかで線引きする必要がある)に基づく判断でしか無いからだ。 この延長線で
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